海賊
大航海時代、活発に活動した海上の交易船を狙う船団。
海上の交易船を襲撃して略奪する海賊は、古来、ヴァイキングの活動や、地中海の海賊(16世紀のプレヴェザの海戦の時の海賊バルバロッサが有名)、インド洋の海賊、そして東アジアの倭寇など数多いが、特に有名なのが、16世紀中頃から18世紀まで続いた、アメリカ新大陸に行き来するスペイン船をねらう、イギリスやフランスの「海賊」であった。またオランダがスペインから独立戦争を始めたときの、ゴイセン(「海乞食」)もスペイン船に対する海賊行為を展開した。それらの中で最も有名なのが、イギリスのフランシス=ドレークである。ドレークだけでなく、エリザベス1世の時代のイギリスは、ウォルター=ローリー、ハンフリー=ギルバート、ジョン=ホーキンズなど海賊、または海賊と同じ活動をした人々が多く、ヨーロッパではエリザベス女王のことを「海賊女王」と呼んでいた。イギリスは海賊からの上納金で、海軍の強化を図り、一流の海軍国となったと言われている。つまり、海賊と言っても、それらの多くは、国王や地方長官の免許状をもらって敵国の艦船を襲撃した「私拿捕船」であり、また海賊に襲われた被害者が国に訴え、報復が認められ「報復状」が交付されと堂々と海賊行為が認められる、など、公認のものであった。しかし、17世紀にはいり、主権国家体制が成立し、国際法の理念もひろがるにつれて国家が海賊行為を公認することはできなくなり、次第に海賊は私的な盗賊団に変質、取り締まりの対象となり、新大陸航路から世界各地の海域に散らばっていく。<別枝達夫『海事史の舞台』1979 みすず書房、武光誠『世界史に消えた海賊』2004 青春出版社 プレイブックス など>
彼らはフランス人、オランダ人、ドイツ人などさまざまだったが最も多かったのはイギリス人だった。はじめは海上の盗賊団にすぎなかったが、スペインの衰退に乗じて、カリブ海一帯に進出しようとしたイギリス、フランス、オランダなどは、それぞれ海賊を公認して私略船とし、島々を占拠させた。イギリスはアンティグア、バルバードス、トリニダッド=トバゴ、ジャマイカなどを領有し、フランスはグァダループ、マルティニクその他を、オランダはキュラソー、セント=クロアなどの島々を我がものにしてしまった。特に有名なのがヘンリー=モーガンで、彼はバッカニーアの頭目としてカリブ海を荒らし回り、最後は国王チャールズ2世からジャマイカ島副総督に任じられ、すると一転してバッカニーア取り締まりの先頭に立つことになった。<別枝達夫「カリブの海賊」他『海事史の舞台』所収 1976 みすず書房。>
Episode カリブの海賊ヘンリー=モーガン
カリブ海域の西インド諸島で活躍した海賊のことをバッカニーア(buccaneer)という。17世紀の初めにこのスペインの勢力圏にヨーロッパ各地から流入してきた貧しい人々が、大陸に移動したスペイン植民者が見すてた西インド諸島の島々にもぐりこみ、テントや岩窟に住み、植民者が捨てていって野生化した牛や豚、山羊を食料にし、その乾し肉を作ることを覚え、それを食料に小舟に乗って海上にでて、本国との行き来をするスペイン船に売りつけた。そのついでに襲撃するようになると、スペインの官憲は彼らのことを「乾し肉売りども」(ブーカニエ)と呼んで憎んだ。その英語読みがバッカニーアである。彼らはフランス人、オランダ人、ドイツ人などさまざまだったが最も多かったのはイギリス人だった。はじめは海上の盗賊団にすぎなかったが、スペインの衰退に乗じて、カリブ海一帯に進出しようとしたイギリス、フランス、オランダなどは、それぞれ海賊を公認して私略船とし、島々を占拠させた。イギリスはアンティグア、バルバードス、トリニダッド=トバゴ、ジャマイカなどを領有し、フランスはグァダループ、マルティニクその他を、オランダはキュラソー、セント=クロアなどの島々を我がものにしてしまった。特に有名なのがヘンリー=モーガンで、彼はバッカニーアの頭目としてカリブ海を荒らし回り、最後は国王チャールズ2世からジャマイカ島副総督に任じられ、すると一転してバッカニーア取り締まりの先頭に立つことになった。<別枝達夫「カリブの海賊」他『海事史の舞台』所収 1976 みすず書房。>