フランス西インド会社
1664年、フランス・ルイ14世のコルベールのもとで、東インド会社と共に設立された、西インド貿易独占権を与えられた特許会社。
1664年に財務総監(大臣)コルベールが、ルイ14世の勅許状を得てフランス東インド会社とともに設立した。コルベールの進めた重商主義政策の一環であった。
フランス西インド会社はイギリスの三角貿易(17~18世紀)の繁栄には及ばず、次第にふるわなかった。また植民地側も自由貿易を望んだので、1674年にはコルベールが西インド貿易を自由化した。そのため、西インド会社は活動の意義を失い、1719年に東インド会社と合体して「インド会社」となった。1730年代以降は自由貿易商人によって奴隷貿易が行われるようになり、18世紀を通して、イギリス、ポルトガルに次ぐ利益を上げていた。 → オランダ西インド会社
大西洋奴隷貿易に参入
コルベールは、アメリカ新大陸との貿易で利益を上げていたオランダやイギリスに倣っって海外貿易に乗りだそうとして、すでにフランスが獲得していた北アメリカ大陸と西インド諸島植民地の砂糖プランテーションとアフリカ西岸を結ぶ大西洋奴隷貿易の独占権を西インド会社に与えた。フランス西インド会社はイギリスの三角貿易(17~18世紀)の繁栄には及ばず、次第にふるわなかった。また植民地側も自由貿易を望んだので、1674年にはコルベールが西インド貿易を自由化した。そのため、西インド会社は活動の意義を失い、1719年に東インド会社と合体して「インド会社」となった。1730年代以降は自由貿易商人によって奴隷貿易が行われるようになり、18世紀を通して、イギリス、ポルトガルに次ぐ利益を上げていた。 → オランダ西インド会社