コーク/クック
17世紀イギリスの法律家。コモン=ローの理念から、権利の請願を起草した。
エドワード=コーク(1552-1634) Edward Coke 一般にはコークだが、クックとする辞書類も多い。エリザベス1世時代の法律家として、庶民院議長、民訴裁判所、王座裁判所の首席裁判官などを歴任して、当時最も知られた法律家となった。当初は王権を擁護していたが、ジェームズ1世が即位し、王権神授説に立って強権的な姿勢を取るようになると、次第に国王と雖も一般的な慣習法として続いている法を尊重し、それに従うべきであるというコモン=ローの理念を掲げるようになった。そのためジェームズ1世と対立し、1616年に裁判官の地位を追われてしまった。その後1620年に議会に返り咲き、イギリスの真の支配者は国王ではなく法であるという主張を展開し、議会の指導者として国王チャールズ1世との対立を強めた。
「権利の請願」を起草
1628年、チャールズ1世人民から法律によらないで強制的に金銭を集めようとし、さらにそれに反対する者を理由を示さず逮捕する、という措置に出たため議会との対立が深まると、エドワード=コークは「請願」という穏健な形式による抗議することを提案し、権利の請願の原案を作成、両院で可決された。正式には、「本国会に召集された僧俗の貴族および庶民により、国王陛下に捧呈され、これに対して陛下が国会全体に勅答を給うた請願」といい、全11章からなり、6月2日に国王に提出され、7日に国王もこれを承認した。その後、国王は請願を無視して再び圧政を行ったため、1640年代のピューリタン革命が起きることとなる。この権利の請願は、国民の諸権利を国王に認めさせた文書として、かつてのマグナ-カルタ、後の権利の章典とともに三大法典とされている。