スコットランドの反乱
1639年、スコットランドの長老派がチャールズ1世の国教会強制に反発して起こした反乱。ピューリタン革命の契機となった。
17世紀のイギリスで、スコットランドには長老派(プレスビテリアン)というカルヴァン派の一派のプロテスタントが多く、イギリス国教会の信仰と儀式を強制するチャールズ1世に対し反発していた。特にスコットランド教会は司教制度を認めず、一般信者のなかから長老を選んで指導者とする長老制度をとっていた。1637年、チャールズ1世はスコットランドの長老派教会に対し、国教会の祈祷書を守るよう強制した。それに対してスコットランドの長老派は盟約を結び、イギリス国教会と対決すべく兵力を集め始めた。1639年に国王はスコットランドに進軍させたが敗北した。再度、スコットランド遠征をくわだてた国王はその戦費を得るために1640年に議会を招集したが、国王と議会の対立が鮮明となり、1642年のピューリタン革命へとつながっていく。