ラシュタット条約
スペイン継承戦争の講和条約として、英仏間のユトレヒト条約締結の翌年の1714年、フランスと神聖ローマ帝国の間で締結された条約。ルイ14世が南ネーデルラントなどの割譲を認め、オーストリアの大国化がもたらされた。
スペイン継承戦争(1701~14年)後の1714年にフランス王国(ブルボン朝)と神聖ローマ帝国(オーストリア=ハプスブルク家)の間で締結された講和条約。前年に締結されたユトレヒト条約とは別で、イギリスが加わっていないので、海外領土ではなく、ヨーロッパでの領土変更の取り決めである。
この戦争ではフランスとスペインが実質的に敗れたので、ルイ14世は、それまでスペイン=ハプスブルク家領であった南ネーデルラント・ミラノ・ナポリ王国・サルデーニャをオーストリア=ハプスブルク家に譲った。
この戦争ではフランスとスペインが実質的に敗れたので、ルイ14世は、それまでスペイン=ハプスブルク家領であった南ネーデルラント・ミラノ・ナポリ王国・サルデーニャをオーストリア=ハプスブルク家に譲った。
オーストリアの大国化
これによって18世紀中ごろのオーストリアは、一方で、ハンガリーやチェコ、ポーランドなどにも領土を有しており、ヨーロッパ大陸の東西にまたがる大国としての地位を得た。しかし同時に、その領域内には多数の民族を抱える多民族国家となったため、その統治に苦悩することとなる。