エル=グレコ
16~17世紀、スペインで活躍したギリシア人の画家。生まれがギリシアのクレタ島なのでエル=グレコの名がある。ヴェネツィアに学んだあと、トレドに定住し創作に当たった。その大胆な画風は近代絵画に強い影響を与えた。
エル=グレコ El Greco (1541~1614)は、スペインのトレドで活動した画家だが、名前からわかるように、ギリシア人でクレタ島の生まれ。当時、クレタ島はヴェネツィア領だったので、ヴェネツィアで絵画修行をした。

ヴェネツィアは最盛期のルネサンスが長く続いており、16世紀のティツィアーノは色彩美と動的な画題に新しい境地をひらきヴェネツィア派といわれるグループの主導的な役割を果たした。ヴェネツィア派は自由な筆致と明暗対比の豊かさ、動的な表現などを特徴とし、ティントレットなどが活躍していた。エル=グレコはヴェネツィアでの修業時代にティツィアーノやティントレットに強い影響を受けた。
ローマでミケランジェロなどの作品に接してイタリア・ルネサンスの神髄に触れ、ついてスペインに渡って1577年からトレドに定住して制作活動を行った。その作品は、激しい明暗の対比や色遣い、人物の長身化や顔のゆがみなど、バロック美術の先駆的な特色をよく表している。特にその宗教画は、神秘的、超現実的で、現代を予感させるものがある。主な作品は『オルガス伯の埋葬』、『聖母昇天』など。
「・・・でもお父さまは、トレドには、もう一日余分に滞在したいとおっしゃっています。なにせティツィアーノのお弟子の、名前は忘れましたが、トレドに行かないとちゃんと見られないという画家のファンでいらっしゃいますからね。」
この画家とはエル=グレコのこと。<プルースト/吉川一義訳『失われた時を求めて』4 岩波文庫 p.144-145>
解答 → エル=グレコ (エル=グレコとは「ギリシア人」という意味)
クレタで生まれ、ヴェネツィアに学び、トレドで製作

エル=グレコ「オルガス伯の埋葬」1586-88
ローマでミケランジェロなどの作品に接してイタリア・ルネサンスの神髄に触れ、ついてスペインに渡って1577年からトレドに定住して制作活動を行った。その作品は、激しい明暗の対比や色遣い、人物の長身化や顔のゆがみなど、バロック美術の先駆的な特色をよく表している。特にその宗教画は、神秘的、超現実的で、現代を予感させるものがある。主な作品は『オルガス伯の埋葬』、『聖母昇天』など。
“トレドに行かないとちゃんと見られない画家”
マルセル=プルーストの長編『失われた時を求めて』第2編の第二部にこんな文があった。「・・・でもお父さまは、トレドには、もう一日余分に滞在したいとおっしゃっています。なにせティツィアーノのお弟子の、名前は忘れましたが、トレドに行かないとちゃんと見られないという画家のファンでいらっしゃいますからね。」
この画家とはエル=グレコのこと。<プルースト/吉川一義訳『失われた時を求めて』4 岩波文庫 p.144-145>
出題
東京大学 1985 (ギリシアの独立戦争に関連した設問)「16世紀から17世紀にかけて、オスマン帝国は、ギリシア人の多く住む地中海の島々を征服していった。そのひとつであるクレタ島から、キュリアコス=テオトコプーロスという名の画家が出て、スペインに渡り、特異な作風の宗教画家として活躍した。この画家の通称を記せ。」解答 → エル=グレコ (エル=グレコとは「ギリシア人」という意味)