ナポレオンのポルトガル征服
1807年、ナポレオンがイギリスとの貿易を続けるポルトガルに軍を派遣し制圧。ポルトガル王室はブラジルに逃れる。
ポルトガルは、スペインによる併合の後、1640年に「再独立」したが、その後はイギリスへの経済的従属が強くなっていた。ナポレオンは大陸封鎖令の翌年の1807年7月、イギリスと結んでいたポルトガルに対して、そのすべての港をイギリスに使用させないよう要求した。ポルトガルがそれを拒否すると、11月にジュノー将軍の率いるフランス軍が侵攻し、リスボンを占領した。
本国ではイギリス軍に支援されたポルトガル軍がフランス軍に抵抗を続け、次第に国民国家形成への動きが強まった。ナポレオンが倒れた後の1821年にジョアン6世はリスボンに帰り、ポルトガル王国をイベリアに戻した。これを機にブラジル独立が実現することとなったため、大西洋をまたいだポルトガル王国は消滅し、その海外領土はアフリカのアンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウとインドのゴア、中国のマカオなどのみとなった。
ポルトガル王、ブラジルに避難
その寸前に、ポルトガル女王マリア1世と王族と貴族、高級役人とその家族ら、1万5千人ほどがイギリス海軍の保護のもとに植民地ブラジルに避難した。その結果、ポルトガルは1808年から14年間はブラジルのリオ=デ=ジャネイロを首都とした。本国ではイギリス軍に支援されたポルトガル軍がフランス軍に抵抗を続け、次第に国民国家形成への動きが強まった。ナポレオンが倒れた後の1821年にジョアン6世はリスボンに帰り、ポルトガル王国をイベリアに戻した。これを機にブラジル独立が実現することとなったため、大西洋をまたいだポルトガル王国は消滅し、その海外領土はアフリカのアンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウとインドのゴア、中国のマカオなどのみとなった。