国民国家
主権国家において、国民主権が確立し、憲法と議会政治が実現し、一元的な統治国家となった国家をいう。18~19世紀の西ヨーロッパで形成され、20世紀に世界的傾向となった。
16~17世紀ごろ西ヨーロッパに生まれた「主権国家」の最初の形態は、権力が国王だけに集中し、「社団」とも言われる中間団体がそれを支える政治体制をとっている「絶対王政国家」あるいは「社団国家」という性格を有していた。主権国家では次第に「主権、国民、国境」が「国家の三要素」と意識されるようになっていったが、その段階ではまだ「国民」の実態としてのまとまりはまだ十分ではなく、国民主権を規定する憲法などもなかった。
主要な国民国家の形成 ウィーン体制の時期は、フランスでは絶対王政が復活したが、1830年七月革命、1848年二月革命、1870年パリ=コミューンなどジグザクのコースをたどりながらも第三共和政で憲法と議会を持ち、国民が主権者である国家を形成させた。イギリスは17世紀に立憲君主政のもとで議会政治をほぼ確立しており、産業革命の進行とともにブルジョワによる国民主権を作り上げた。ドイツやイタリアでは民族の分裂と他民族支配を乗り越えて国民国家を建設しようとするナショナリズム(国民主義)の運動が起こり、ともに19世紀後半に統一を成し遂げ、国民国家を形成させていった。ロシアはツァーリズムと古い社会制度のもとで国民国家形成は遅れた。アメリカ合衆国は建国から国民意識は濃厚であったが、南北戦争の危機を克服したことを持って国民国家として安定したと言える。正アメリカは人種間対立という問題を持ち続けることとなる。
国民国家のあやうさ 「国民国家」は、「国民」を単一の民族で、単一の言語をもつ集団、さらに伝統や文化、宗教などの面でも同質であることが強く意識されるようになる。それは、専制君主の支配や外国支配から国民を解放する過程では有効であるが、反面、異質なものを排除する意識も強まる場合もあり、同一地域にあっても言語や文化を異にする少数者集団を差別、排除する傾向が見られる。また、国民を民族と同義と誤解し、民族的優劣意識を強調して国家統合を図ろうとすることもあった。隣接する国民国家を、ことさらにきらったり優越感を持ったりすることも、現在でもよく見られる。近代国民国家においても、20世紀前半までは多くは女性は国民としての権利を認められなかった。
注意 「国民国家」と「民族国家」 国民国家は Nation State の訳であるが、ここでのネーションを民族ととらえ、「民族国家」と訳す場合があるが、国民国家が単一民族で成り立っているのはほとんど無く、多くは民族的特質の多様な人びとが国民国家を形成している「多民族国民国家」であるので、「民族国家」という用語は用いるべきではない。
なお、1980年代に盛んになった議論で、「国家」や「国民」とは、人工的に作られた「想像の共同体」にすぎない、という見解が注目を集めている(ベネディクト=アンダーソン『想像の共同体』1983)。「国民国家」概念も含め、まだ論議の途上にあるといえる。
現代の私たちは、まさに国民国家の時代の中にいるので、このような国家形態を自明のものと捉えがちであるが、世界史を学ぶことによってそれが「近代」という歴史的条件のもとで生まれたもの(にすぎない)、として相対化することが必要である。このように考えていくと「国民国家」は観念的に捉えるのではなく、多角的に見ることが必要な、「あやうさ」をもっていることが判る。
国民国家の形成進む
ところが、18世紀の主権国家間の抗争(七年戦争など)を経て絶対王政が動揺し、アメリカ独立革命とフランス革命という「市民革命」が起きたことによて、国家主権は国民が持つという意識が生まれた。また、国民は、言語・文化・人種・宗教などを共有する一体のものと意識されるようになった。このように、主権国家のあり方において、国民としての一体感が形成され、しかも国民が憲法などによって主権者であると規定され国民主権が確立した段階を「国民国家」(英語では、nation state )という。18~19世紀にナポレオン戦争の混乱と、ウィーン体制の時代をつうじて、「国民国家」が一般的な国家形態となった。時代区分では16~17世紀を「近世」、18~19世紀を「近代」とするのが一般的である。主要な国民国家の形成 ウィーン体制の時期は、フランスでは絶対王政が復活したが、1830年七月革命、1848年二月革命、1870年パリ=コミューンなどジグザクのコースをたどりながらも第三共和政で憲法と議会を持ち、国民が主権者である国家を形成させた。イギリスは17世紀に立憲君主政のもとで議会政治をほぼ確立しており、産業革命の進行とともにブルジョワによる国民主権を作り上げた。ドイツやイタリアでは民族の分裂と他民族支配を乗り越えて国民国家を建設しようとするナショナリズム(国民主義)の運動が起こり、ともに19世紀後半に統一を成し遂げ、国民国家を形成させていった。ロシアはツァーリズムと古い社会制度のもとで国民国家形成は遅れた。アメリカ合衆国は建国から国民意識は濃厚であったが、南北戦争の危機を克服したことを持って国民国家として安定したと言える。正アメリカは人種間対立という問題を持ち続けることとなる。
国民国家のあやうさ 「国民国家」は、「国民」を単一の民族で、単一の言語をもつ集団、さらに伝統や文化、宗教などの面でも同質であることが強く意識されるようになる。それは、専制君主の支配や外国支配から国民を解放する過程では有効であるが、反面、異質なものを排除する意識も強まる場合もあり、同一地域にあっても言語や文化を異にする少数者集団を差別、排除する傾向が見られる。また、国民を民族と同義と誤解し、民族的優劣意識を強調して国家統合を図ろうとすることもあった。隣接する国民国家を、ことさらにきらったり優越感を持ったりすることも、現在でもよく見られる。近代国民国家においても、20世紀前半までは多くは女性は国民としての権利を認められなかった。
注意 「国民国家」と「民族国家」 国民国家は Nation State の訳であるが、ここでのネーションを民族ととらえ、「民族国家」と訳す場合があるが、国民国家が単一民族で成り立っているのはほとんど無く、多くは民族的特質の多様な人びとが国民国家を形成している「多民族国民国家」であるので、「民族国家」という用語は用いるべきではない。
植民地の独立
西ヨーロッパでは19世紀までに国民国家が形成されたが、東ヨーロッパにおいては20世紀前半の第一次世界大戦後がその時期に当たり、アジアでは日本などは19世紀に曲がりなりにも国民国家を形成させたが、多くは植民地か半植民地状態にあったため、20世紀後半の第二次世界大戦後に独立を達成するとともに国民国家を形成させていく。なお、1980年代に盛んになった議論で、「国家」や「国民」とは、人工的に作られた「想像の共同体」にすぎない、という見解が注目を集めている(ベネディクト=アンダーソン『想像の共同体』1983)。「国民国家」概念も含め、まだ論議の途上にあるといえる。
現代の私たちは、まさに国民国家の時代の中にいるので、このような国家形態を自明のものと捉えがちであるが、世界史を学ぶことによってそれが「近代」という歴史的条件のもとで生まれたもの(にすぎない)、として相対化することが必要である。このように考えていくと「国民国家」は観念的に捉えるのではなく、多角的に見ることが必要な、「あやうさ」をもっていることが判る。