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カヴェニャック

1848年、パリ労働者の六月蜂起を鎮圧した軍人。第二共和政下の大統領選挙に出馬したが落選した。

 王政復古期から七月王政の時期に活躍したフランスの軍人で、アルジェリア征服で名声を上げる。1848年の二月革命で七月王政が倒れ、臨時政府が成立したものの、ブルジョワ共和派と労働者・社会主義者が対立し、政府の国立作業場併催に抗議した労働者が暴動を武装蜂起した六月蜂起が起こると、ブルジョワ共和派のラマルティーヌに代わって共和派軍人カヴェニャックが議会から暴動鎮圧の全権を委任され、パリに戒厳令を布いた。カヴェニャック将軍は労働者がバリケードを築くのを放置し、労働者がバリケードに集まったところをとらえて総攻撃に転じ、6月23日~26日の間に市街戦を展開して反乱軍を鎮圧した。労働者の反乱を鎮圧したカヴェニャック将軍にはブルジョワ共和派の支持が集まり、実権を握った。
 六月蜂起以後、労働者と社会主義者は危険な「赤い妖怪」であると恐れる風潮がブルジョワジーや農村の富裕な農民層に広がり、革命の進行よりも政治の安定と不況からの脱却を望むようになったことが、カヴェニャック政権の登場の背景にあった。そのもとで同年11月に第二共和政憲法が成立し、12月には第二共和政大統領選挙がおこなわれると、カヴェニャックは勝利を確信して立候補した。しかし、思わぬ伏兵としてナポレオンの甥でその名声を背景としたルイ=ナポレオンが急きょ立候補すると、70%を超える得票をそれに奪われ、カヴェニャックは落選した。 → 二月革命
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