ダヴィド
18世紀末~19世紀、フランスの古典主義絵画の代表的作者。フランス革命に関わる劇的な絵画を残し、ロベスピエールの最高存在の祭典の演出を行った。ナポレオンにも用いられ戴冠式やその肖像画を描いた。
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ダヴィド自画像 1748-1825
Wikimedia Commons
革命派からナポレオン派に
翌月、テルミドールのクーデタでロベスピエールが失脚すると、ダヴィドも捕らえられ、入獄した。しかし、ナポレオンに深く取り入ってその主席画家として「ナポレオン1世の戴冠式」その他の作品を残している。ナポレオンの没落によってダヴィドもベルギーに亡命したが、その古典主義の様式は弟子の出題
07年 成城大(経) ダヴィドについて述べた次の文の空欄に入る語句を答えなさい。(一部改訂)1791年に描かれたダヴィドの代表作のひとつ「( 1 )の誓い」は、1789年5月の歴史的事件を絵画として記録しようとした国民議会の後援を得たものであった。やがてダヴィドは、直接に政治の世界に足を踏み入れ、1792年9月、( 2 )の議員に選出されたのである。国王ルイ16世の裁判においても有罪とする投票を行った。また、ジャコバン派の( 3 )とも親しい間柄となり、公教育委員会の有力メンバーとして、93年の「8月10日の祭典」の総監督、94年6月の「最高存在の祭典」の演出をつとめるなど、さまざまな革命の祭典の準備に携わった。この間、ジャコバン派の指導者であった( 4 )が93年7月に暗殺されると、ダヴィドはその葬儀の責任者となり、同時に自らその死を描いた。テルミドール9日の反動によって( 3 )が失脚すると、ダヴィドは、処刑は免れたものの1年あまりの獄中生活を余儀なくされた。その後、王党派から命を狙われていたダヴィドは、( 5 )に接近し、その「アルプス越え」など、かれを称える絵画を制作し始めた。1804年、( 5 )が皇帝に即位すると、その主席画家の称号を与えられ、その戴冠式を描いた。しかし15年、復古王政の時代になると、ダヴィドはブリュッセルに亡命、この地に没した。
解答 → 1.球戯場(テニスコート) 2.国民公会 3.ロベスピエール 4.マラー 5.ナポレオン