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ロマン主義

19世紀前半を中心にヨーロッパで興った、文学、美術、音楽などにまたがる芸術運動。古典主義に代わる新しい潮流となったが、世紀の後半には新たな潮流として自然主義・写実主義が起こる。

 ロマン主義は19世紀前半を中心に、文学や絵画、音楽の領域を含めてヨーロッパ全体を風靡した芸術運動であった。絵画の分野ではダヴィドらの古典主義がギリシアやローマの美術を模範として、正確なデッサンと安定した構図にもとづく様式を持っていたのに対し、もっと自由な発想による高揚した感性の世界を表現しようとした。一言で言えば古典主義が「人間の理性に信頼を置いていた」とすれば、ロマン主義は「何よりも感受性を重んじた」と言ってよい。<高階秀爾『名画を見る眼』岩波新書 p.145> → 写実主義 自然主義

ロマン主義美術

 形式や理性、古典的な構図や色彩にとらわれず、感情や情熱をそのまま画面に露わに表現する作品がロマン派である。代表的な作家であるドラクロワは、ギリシア独立戦争に題材を求めた『キオス島の虐殺』や、自らが参加した七月革命の高揚を描いた『民衆を率いる自由の女神』などの傑作を残した。

ロマン主義文学

 枚挙にいとまがないが、ドイツではノヴァーリス(『青い花』1802)に始まり、ヘルダーリン、グリム兄弟、ハイネ(『歌の本』1827)と続く。フランスではスタール夫人、シャトーブリアン、ユーゴー(『レ=ミゼラブル』1862)、イギリスでは詩人のワーズワース、歴史小説のスコット(『アイヴァンホー』)、詩人のバイロン(ギリシア独立戦争に参加した)、アメリカにはエマーソン、ホイットマン(『草の根』1855)らの詩人、ホーソン(『緋文字』1850)などの作家がいた。またロシアにも、プーシキン(『大尉の娘』1836など)が現れ、ロシア文学隆盛の端緒となった。

ロマン主義音楽

 ドイツでは古典派の継承すると共により自由で新しい表現が探求され、シューベルト、シューマン、ヴァーグナーらが活躍し、ポーランド人のショパン、ハンガリー人のリストも多くの作品を発表した。フランスのベルリオーズが1830年の七月革命のさなかに発表した『幻想交響曲』で交響楽の作品に新風を巻き起こし、イタリアではヴェルディが歌劇に新境地を開いた。ドイツのヴァーグナーはベルリン三月革命の翌1849年にドレスデンで起こった自由主義革命運動に参加し、敗れて亡命生活を送り、しだいに反ユダヤ主義、ドイツ民族主義の傾向を強め『ニーベルングの指輪』四部作など壮大な総合芸術としての楽劇を創作した。同じくドイツのブラームスはロマン主義を継承しながらヴァーグナー的な民族主義的偏向に与せず、古典派へ回帰をはかった。
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