マリ=アントワネット
フランス王ルイ16世の王妃。オーストリアのマリア=テレジアの娘。宮廷での奢侈によって国民の反感を買い、フランス革命の最中の1793年に処刑された。
Source: Wikimedia Commons (Public Domain)
Episode ロココの王妃
マリ=アントワネットといえば、贅沢の限りを尽くした軽薄な女、というイメージが強い。たしかに王妃という宮廷の最高位に位置した彼女が、庶民とはかけ離れた浪費生活を送ったことは間違いないことだろう。フランス革命が起こって彼女を絞首台に送るためには、この「ふしだらなオーストリア女」は国庫を顧みない浪費家としてだけでなく、「あらゆる悪、あらゆる不品行、あらゆる倒錯症の持主」に仕立て上げられた。ところが王政復古の時代になると、「ばけものじみていたこれまでの王妃の絵姿は、油もこってりとした極彩色で塗り込められ」、その「美徳が、憤懣やるかたない面持ちで弁護され、身を投げ打っておそれぬ彼女の勇気、心根のやさしさ、非のうちどころのない女丈夫ぶり」が描かれ、殉難の王妃とされることになる。ステファン=ツヴァイクの文章は、そのような毀誉褒貶から彼女を解放して、次のように言う。(引用)マリー・アントワネットは王党派のたたえるような偉大な聖女でもなければ、革命が罵るような淫売でもなく、平凡な性格の持ち主であり、本来はあたりまえの女であって、とりたててかしこくもなければ、とりたてておろかでもなく、火でもなければ氷でもなく、・・・悲劇の対象にはなりそうもない女であった。<ステファン=ツヴァイク/藤本敦雄・森川俊夫訳『マリー・アントワネットⅠ』1935 全集13 みすず書房 p.1-3,p.151-172>しかし、「歴史という、この偉大な創造者」が彼女を、18世紀の宮廷文化であるロココ文化のただ中におき、めぐりあわせから革命の渦中に投げ込むことになった。ツヴァイクはマリー・アントワネットの贅沢な生活を「ロココの王妃」として描き、ロココ文化の