ファラデー
19世紀前半のイギリスの科学者。ロンドンの貧しい製本業から研究に転じ、1831年、電磁誘導を発見、その他電気分解の法則の発見など、物理学・化学など様々な科学研究に大きな足跡を残し、電気利用の発達の基礎を築いた。
19世紀のイギリスのファラデーは化学・物理学でもっとも重要な貢献をした人物のひとり。1831年8月29日、2組のコイルを用いた実験を行い、磁気の作用によって電流が誘導されること、つまり電磁誘導を発見した。さらに1833年に、電気分解の法則を発見し、電磁気学の基礎を築いた。これらの基礎の上に、1832年に電磁誘導の原理を応用した発電機(ダイナモ)が発明されて電気の実用化が始まり、ドイツのジーメンスなどによる技術改良が加えられ、電気という現代文明を支えるエネルギーとされるに至った。ファラデーの電磁場に関する実験的考察は、19世紀後半に入り、マクスウェル 1831-79 によって数学的理論に高められ、電磁場理論として確立した。<電磁誘導発見の日付は小山慶太『科学史人物事典』中公新書 p.93 による>
Michael Faraday
1791-1867
マイケル=ファラデー Michael Faraday(1991~1867) はロンドンの近くで錠前屋の子供として生まれた。「家が貧しかったから小さいときから製本屋で働いていた。製本の見習いをしているうちに、本をとじるだけでは満足できず、中をのぞいてみるようになった。そうして、特に化学や電気にかんするところに興味を持った。今度は本に書いてあるのを読むだけでは満足できなくなり、いくらもない小遣い銭のなかから薬品などを買って来て、化学の実験を自分でやってみたりするようになった。」<ファラデー/矢島祐利訳『ロウソクの科学』1933 岩波文庫 訳者のはしがきより>
1812年2月29日、22歳のとき、主人の得意先につれられて、ローヤル=インスティチューション(官立の研究所兼学校)に通うようになった。科学で身を立てようと思い教授に相談したが、「科学を専門にやってそれで飯を食うのはむずかしいことだから製本屋を続けていたらどうか」といわれた。ところが数日後、教授の助手がやめたため、その代わりをやる気があるかと連絡を受け、かれは喜んで助手になった。それからそこに寝泊まりして試験管を洗ったり、実験の手伝いをすることになった。数年後には自分の研究ができるようになり、やがて教授となって1861年にやめるまで研究に従事し、数々の発明、発見をしていった。電磁誘導や電気分解などの物理分野だけではなく、塩素の液化、復水の発見、ベンゾールの化学分野の発見もその業績である。
彼がローヤル=インスティチューションの教授として、1860年に子どもたちを対象に行った連続クリスマス講義をまとめたのが、科学の入門書として名高い『ロウソクの科学』である。<以上、ファラデー/矢島祐利訳『ロウソクの科学』1933 岩波文庫。現在は新訳が岩波文庫から出ている。また角川文庫からも出されている。>
電磁誘導で発生される電気花火が内燃機関の点火用に採用されるまでには約30年の年月を要した。また他の方式との比較で、なかなか優位に立てず、ようやく80年ほどたった20世紀に入ってからのことであった。その原因は、電気点火方式に必要な絶縁材料である電線の被覆材料やプラグの陶磁器材料の開発が進まず、信頼性と効率がなかなかあがらなかったところにある。 → 電気・電力
独学で科学者に
Michael Faraday
1791-1867
1812年2月29日、22歳のとき、主人の得意先につれられて、ローヤル=インスティチューション(官立の研究所兼学校)に通うようになった。科学で身を立てようと思い教授に相談したが、「科学を専門にやってそれで飯を食うのはむずかしいことだから製本屋を続けていたらどうか」といわれた。ところが数日後、教授の助手がやめたため、その代わりをやる気があるかと連絡を受け、かれは喜んで助手になった。それからそこに寝泊まりして試験管を洗ったり、実験の手伝いをすることになった。数年後には自分の研究ができるようになり、やがて教授となって1861年にやめるまで研究に従事し、数々の発明、発見をしていった。電磁誘導や電気分解などの物理分野だけではなく、塩素の液化、復水の発見、ベンゾールの化学分野の発見もその業績である。
彼がローヤル=インスティチューションの教授として、1860年に子どもたちを対象に行った連続クリスマス講義をまとめたのが、科学の入門書として名高い『ロウソクの科学』である。<以上、ファラデー/矢島祐利訳『ロウソクの科学』1933 岩波文庫。現在は新訳が岩波文庫から出ている。また角川文庫からも出されている。>
Episode 心霊現象を否定したファラデー
19世紀後半になると、イギリスでは心霊主義が台頭し、霊能力を持つと称する人を囲み、不思議な現象を体験する交霊会が各地で開かれるようになった。心霊現象の中でポピュラーなものだった「テーブル・ターニング」(テーブルをかこんだ人間が手をのせると霊の力でテーブルが動く、という)を、まやかしだと考えたファラデーは、力学実験によってそれは参加者の無意識な手の動きがテーブルに作用した現象にすぎないと指摘した。このようなファラデーの努力にもかかわらず、心霊現象や超常現象に対する人々の関心は衰えず、現在でもTVでも盛んに取り上げられている。「科学の発展が加速するにつれ、逆に、科学では説明がつかない神秘的な事柄に関心を深める人々もふえてきたのであろう。」<小山慶太『科学史年表』中公新書 p.136>Episode 「一体、なんの役に立つものか」
(引用)ファラデーは、イギリスの実験物理学の大立者であり、かずかずの業績を残したが。1831年に発表した電磁誘導の理論は、動力面にとってとくに重大なかかわりがある。ただ、この発表の頃は、電気の利用などはさっぱり進んでおらず、ファラデーの電磁誘導の発見への認識も低かった。この発表に際し、当時の英国王から「一体、なんの役に立つものか」と問われ、「生まれたての赤ん坊が、将来、なにになるかを聞かれるのと同じこと」と答えたというとの挿話もあるぐらいだ。彼自身にも本当に分からなかったのだろう。後年(約50年後)、これは、発電機、電気モーターに取り上げられ、動力界の花形の一つとなる。<富塚清『動力の歴史』(増補新訂版)2002 三樹書房 p.98>このとき(1831年)の英国王とはウィリアム4世。姪のヴィクトリアが女王となるのは1837年。またこの前年にはマンチェスター・リヴァプール鉄道が開通しており、まさに蒸気機関の全盛期が始まろうとしていた。
電磁誘導で発生される電気花火が内燃機関の点火用に採用されるまでには約30年の年月を要した。また他の方式との比較で、なかなか優位に立てず、ようやく80年ほどたった20世紀に入ってからのことであった。その原因は、電気点火方式に必要な絶縁材料である電線の被覆材料やプラグの陶磁器材料の開発が進まず、信頼性と効率がなかなかあがらなかったところにある。 → 電気・電力