蒸気機関
水蒸気の熱エネルギーを回転運動に転換する機関。18世紀初頭にまず炭坑の排水用に作られ、1760年代にワットによって改良され、実用的な動力源となった。紡績や織機、交通機関に利用され、人力や畜力、水力・風力に替わる動力として産業革命をもたらした。20世紀に入ると電力などが用いられるようになったため、急速にその役割を終えた。
蒸気機関は18世紀初頭、イギリスのニューコメンが1712年に考案して石炭を採掘する炭坑の排水用に実用化したが、汎用的な動力としては1769年にワットが改良したものが、1780年代に工業生産に使えるように実用化されてからであった。
ワットの蒸気機関は蒸気力によるピストンの上下運動を円運動に転換させることによって、紡績や織機の動力源、さらにフルトンが船舶に搭載して蒸気船を発明し、スティーヴンソンが蒸気機関車(汽車)を実用化して鉄道が運行を開始し、それまでの人力や畜力、水力・風力に替わる動力とって産業革命の原動力となった。その燃料には石炭が利用されていたが、20世紀に入ると電力やガソリンエンジンなどの石油エネルギーの利用が急速に発達し、蒸気機関は用いられなくなった。
このような気圧機関の欠点を解決することに成功したのがワットであり、彼は1765年ごろ、シリンダーと冷却装置を分離、蒸気力だけでピストンを上下させる方式を考案し、1769年に特許を取った。しかし、この段階では蒸気機関は直接機械の動力として利用するには向いていなかったため、アークライトが1771年に作った紡績工場も、水力紡績機を用いていた。しかし水力は川の水量の増減によって稼働率が変化してしまううえ、工場を労働力をえにくい都市から離れた川の側に立地させなければならなかったことから、自然条件によって変動せず、都市の近くに立地させることのできる安定したた動力源が求められることとなった。
ワットは研究を重ね、ピストンの上下運動を回転運動に転化させることに成功し、1781年に特許を取得し、1784年にはそれを実用化した。この蒸気機関は原動機から発する動力をベルトでつなぐことで工場の機械を動かす動力に利用することができるようになった。しかしその装置は巨大であり、効率も悪かったため、すぐに利用されたわけではなかった。更なる改良、小型化が進められ、ようやく1789年にマンチェスターで蒸気機関を動力源とした紡績工場が稼働を開始した。
このように蒸気機関の発明の歩みは順調であったわけではなく、発明から実用化まで、約100年の時間がかかっている。しかし、蒸気機関は明らかに水力・風力・畜力・人力などにくらべて安定して強力な動力源をとなったので、いわゆる動力革命をもたらし、産業革命がまさに「革命」の名に値する技術的基礎を準備したと言うことができる。<角山榮ほか『産業革命と民衆』生活の世界歴史10 河出文庫 などによる>
ワットの蒸気機関は蒸気力によるピストンの上下運動を円運動に転換させることによって、紡績や織機の動力源、さらにフルトンが船舶に搭載して蒸気船を発明し、スティーヴンソンが蒸気機関車(汽車)を実用化して鉄道が運行を開始し、それまでの人力や畜力、水力・風力に替わる動力とって産業革命の原動力となった。その燃料には石炭が利用されていたが、20世紀に入ると電力やガソリンエンジンなどの石油エネルギーの利用が急速に発達し、蒸気機関は用いられなくなった。
熱の動力化
人間はまず二本足で直立し、手を使って道具を作り活用したことが最初の動力であった。第二は火、第三は巨石文化の技術(畜力、風力、水力など)、第四が熱を動力化したことである。この熱機関の発明こそが機械文明を急伸展させたものであるが、その基を開いたのがニューコメンであった。しかしニューコメンの発明は同時代のニュートンも触れていないように、学者からは無視された。当時の科学者は蒸気機関という熱の動力化の意義に気付かなかったのである。事実ニューコメン・エンジンは未熟幼稚であり、科学者に認知されることなく1729年に死んだ。その7年後の1736年に生まれたワットの改良により、蒸気機関は汎用としての新しい能力を獲得し、ここから熱機関時代に入っていくのである。<富塚清『動力物語』1980 岩波新書。同書は「動力」の科学的な解説とその歴史をわかりやすく説いた名著。岩波新書版は絶版のようだが、2002年に同一内容で『動力の歴史』(三樹書房)として再刊されている。>炭坑の排水用に作られた蒸気機関
蒸気機関が必要とされたのは、まず炭坑の排水用の問題であった。炭坑を開発するに従い、とめどなく湧いてくる地下水を、どうやって排水するかということが問題が出てきた。はじめは主として馬力による揚水作業が行われていたが、少々馬を増やしても溢れる水に追いつかず、地下水で溢れた炭坑はやむをえず廃校として放棄しなければならなかった。ここに人力や畜力の限界を克服する、強力な動力を具えたポンプの出現が要請された。その要請に応えたのが蒸気機関である。<角山榮ほか『産業革命と民衆』生活の世界歴史10 河出文庫>蒸気機関の発明と改良
まず最初に現れた蒸気機関は、1698年トーマス=セイヴァリが考案した、ふつう「坑夫の友」とよばれるポンプであるが、それは深い炭坑の排水をする力はなかったので、コーンウォールの一部の炭坑で用いられただけだった。18世紀はじめ、ニューコメンが発明した、ふつう「気圧機関」と呼ばれるポンプはかなり広く普及した。しかしこのポンプはシリンダーを交互に熱したり冷やしたりするために莫大な燃料を必要とし、経費が高く付くという欠点があった。このような気圧機関の欠点を解決することに成功したのがワットであり、彼は1765年ごろ、シリンダーと冷却装置を分離、蒸気力だけでピストンを上下させる方式を考案し、1769年に特許を取った。しかし、この段階では蒸気機関は直接機械の動力として利用するには向いていなかったため、アークライトが1771年に作った紡績工場も、水力紡績機を用いていた。しかし水力は川の水量の増減によって稼働率が変化してしまううえ、工場を労働力をえにくい都市から離れた川の側に立地させなければならなかったことから、自然条件によって変動せず、都市の近くに立地させることのできる安定したた動力源が求められることとなった。
ワットは研究を重ね、ピストンの上下運動を回転運動に転化させることに成功し、1781年に特許を取得し、1784年にはそれを実用化した。この蒸気機関は原動機から発する動力をベルトでつなぐことで工場の機械を動かす動力に利用することができるようになった。しかしその装置は巨大であり、効率も悪かったため、すぐに利用されたわけではなかった。更なる改良、小型化が進められ、ようやく1789年にマンチェスターで蒸気機関を動力源とした紡績工場が稼働を開始した。
このように蒸気機関の発明の歩みは順調であったわけではなく、発明から実用化まで、約100年の時間がかかっている。しかし、蒸気機関は明らかに水力・風力・畜力・人力などにくらべて安定して強力な動力源をとなったので、いわゆる動力革命をもたらし、産業革命がまさに「革命」の名に値する技術的基礎を準備したと言うことができる。<角山榮ほか『産業革命と民衆』生活の世界歴史10 河出文庫 などによる>