ピアリー
1909年、西欧人として初めて北極点に到達した探検家。
ロバート=ピアリーはアメリカ海軍軍人で北極海の航路開拓、資源探索に従事し、はじめに1891~97年にグリーンランド探検を行う。ついで北極点到達を目指し、1898~1902年、1905~06年、1908~09年の3度に及ぶ北極探検を行い、その間、凍傷で足の指を失いながら、ついに1909年4月6日に、西欧人として初めて北極点に到達した(とされている)。
「西欧人として」とされるのは、これ以前にカナダのエスキモーの仲間のイヌイットが、アザラシ猟などで獲物を追ってこの付近に到達していたことが充分考えられるからである。
ただし、現在の教科書、用語集もほぼピアリーが1909年に北極点に到達したことをそのまま掲載しており、否定されてはいない。
「西欧人として」とされるのは、これ以前にカナダのエスキモーの仲間のイヌイットが、アザラシ猟などで獲物を追ってこの付近に到達していたことが充分考えられるからである。
ピアリーの北極点到達の疑惑
ピアリーは極地探検家、海軍軍人としての栄誉のうちに1920年に没し、その名は海軍艦艇の名として残されているが、当初から幾つかの疑惑がつきまとっていた。まず、もと彼の部下だったフレデリック=クックという人が、自分がピアリーより早く1908年4月に北極点に到達していたと主張したので、裁判となった。裁判ではピアリーが最初の到達者として認定されて終わったが、後にピアリが証人を買収していたことが明らかになり、疑惑は消えなかった。さらに、後に詳しい測量が行われた結果、ピアリーが北極点だと思った地点は、正確には北緯89度57分(北極点から約6kmの地点)であったことがわかり、科学的には不正確だったことが明らかになった。ただし、現在の教科書、用語集もほぼピアリーが1909年に北極点に到達したことをそのまま掲載しており、否定されてはいない。