北極海
北極点を中心にした北極圏の海域。厳しい自然環境のもと、航路や資源の開拓のため探検が続けられた。現在は軍事的な緊張も高まっている。
北極海をめぐる情勢
ヨーロッパ人の北極探検は、アジアへの最短航路を開発するため、中世以来進められ、次第に捕鯨や毛皮猟などの資源を求める活動を兼ねるようになった。大航海時代にも、オランダやイギリス、ノルウェーが北米大陸をの北側の北極海を廻る航路の発見と、同様に毛皮などの資源を求めて進出していった。北西航路の開拓努力 15世紀末、イギリスのヘンリ7世はイタリア人の航海者カボットをやとい、流氷の漂う北大西洋のを探検させた。カボットはコロンブスと同じように、ジパングに直接行くことを目指して航行し、大西洋を横断して1497年に北米大陸のニューファンドランドに到達し、その地をイギリス領と宣言した。カボットは翌年はグリーンランド東岸を探検、初めて北極圏を航行した。しかし、アジアに直接通じる北西航路の発見には至らなかった。カボットの探検でイギリス植民地となったカナダの北岸には、17世紀はじめ、ハドソンが派遣されて、北西航路の開拓を目指した。その数年にわたる探検は、氷に閉ざされて北西航路を開くことはできなかったが、その名はハドソン湾(1610年に探検)やハドソン川の地名に残っている。北西航路をはじめて走破することに成功したのは、ずっと遅れて20世紀に入り、1903年~06年のノルウェー人アムンゼンによってであった。
北東航路の開拓努力 16世紀にイギリスと英蘭戦争を戦っていたオランダは、南方のアフリカ周りの航路ではなく、イギリスと対抗してユーラシア大陸の北を通って新大陸やアジアに到達するルートを積極的に探ろうとした。その北東航路といわれた航路の開拓では、バレンツを艦長とする艦隊が1596年にノヴァヤゼムリャに到達したが、それ以上は進めず失敗に終わった。しかしその名は「バレンツ海」という名前として残されている。
ロシアの東方進出 シベリアへの領地拡大を進めたロシアのピョートル大帝によって、1728年に派遣されたベーリングがカムチャッカから北上して、ユーラシア大陸と北アメリカ大陸の間の海峡を発見、北極海に船を進めた。その海峡はベーリング海峡といわれるようになった。彼は二度目の航海によって1741年、北米大陸に上陸し、その地アラスカをロシア領とした。しかし、クリミア戦争で国力を消耗したロシアは1867年にアラスカをアメリカに売却し、戦後の1959年にアラスカはアメリカ1番目の州となった。
北極探検の歴史
19世紀になると科学技術の発達の時代となり、南極大陸やアジア大陸、アフリカ大陸の探検と同じように北極でも極地探検の競争が行われるようになった。北極では、1888年からグリーンランドと北極海の調査を続けていたノルウェーのナンセンがフラム号で北極海を航行、1895年に北緯86°14′に達して極地が海洋であることを確かめた。次にアメリカ海軍の軍人ピアリーが、グリーンランドの探検に続いて、カナダの北岸のエルズミア島から北極点を目指し、3度にわたる挑戦で九本の足の指を凍傷で失いながら、1909年4月6日についに氷上で北極点に達成した。これは西欧人としては初めての北極点到達であるが、「人類最初」とされていないのは、カナダの極北の狩猟民イヌイットがすでに獲物を追ってこのあたりで活動していたからである。またピアリーの「到達」には様々な疑惑があり、現在もそれを疑問視する向きも多い。世界史の教科書では依然としてピアリーの北極点到達は科学の時代の探検の業績として残されている(ピアリーの項を参照)。
その後、1926年、バードとアムンゼンは飛行船で北極点に到達することに成功した。 また日本人の植村直己は1978年に単独で犬ぞりによる北極点到達に成功して話題をあつめた。
冷戦時代以降の北極海
第二次世界大戦後の冷戦時代には北極海をはさんでアメリカ陣営とソ連陣営が向かいあうこととなって北極海の緊張が高まった。双方とも北極海域の軍事利用を進め、アメリカはアラスカ及びNATOに所属するカナダとデンマーク領グリーンランドにミサイルを配備、ソ連もシベリアの北極海沿岸に同様にミサイル基地網を設けた。第二次世界大戦後、ソ連は原子爆弾の製造に着手し、1949年に最初の核実験を中央アジアのセミパラチンスクで行ったが、55年以降は北極海のノヴァヤゼムリヤ島も核基地化し、核実験を繰り返した。それに対して、1958年8月3日にはアメリカ海軍の原子力潜水艦ノーチラス号が北極点直下の氷の下を航行し、ソ連を牽制した。
北極海ではソ連とノルウェーの国境問題もあった。バレンツ海は良好な漁場であり、また海底油田の可能性があることから両国間の境界問題が発生、ノルウェーは両国海岸線からの等距離に基づく中間線を主張したのに対し、ソ連は北極海においては経度線(東経30°)を主張して譲らない。また北緯80°付近の北極海にあるスバールバル諸島(スピッツベルゲン諸島)は1920年の条約でノルウェー領であることが確定したが、同時に他の国にも資源開発の権利が与えられた。ソ連は同島周辺の大陸棚は独立しているとして資源開発の権利を主張している。これらの問題は未解決であるが、ソ連はコラ半島の北西のムルマンスクが不凍港(緯度は高いが暖流のメキシコ湾流が北上するため冬も凍結しない)であることから、軍港化しミサイル潜水艦の基地として利用した。現在のロシアもムルマンスク基地を継承しており、北極海に睨みをきかせている。
グリーンランドはデンマーク領であるが、デンマークがNATOに加盟したためその戦略的位置から急速に重視されるようになり、1951年からアメリカ軍が基地を置いている。1953年に州の地位が与えられ、1979年には内政での自治が認められたが、その後もデンマークからの分離独立をもとめる主張は続いている。グリーンランドは2018年8月、アメリカのトランプ大統領が買収を言い出したためににわかに注目を集めたが、その話はトランプ退任とともに消滅した。