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アラブ文化復興運動/アラブの覚醒

19世紀中ごろ、シリアのアラブ人キリスト教徒から起こったアラブ人としての自覚を促す運動。

 アラブ文化復興運動とは「アラブの覚醒」ともいわれ、19世紀の中ごろのシリアで起こった文化運動で、宗教・宗派の対立を超えたアラブ人としての自覚を促し、アラビア語という原語を通じて民族としての意識を高めようとする運動であった。大きく捉えれば、18世紀以来のイスラーム改革運動の一つの潮流であった。
 この潮流は、宗教・宗派と国境を越えたアラブ人の連帯を重視するアラブ主義といわれるようになるが、イスラーム教徒であることをより強く自覚するイスラーム主義や、エジプトなどで起こった国民主義とは異なる運動であった。しかし、限られた知識人の運動という面が強く、民衆には浸透しないまま、20世紀に高まるアラブ民族主義運動(アラブ=ナショナリズム)に巻き込まれていった。

シリアのキリスト教徒から始まる

 まずシリアとは、いわゆる大シリアで、現在のシリア、レバノン、ヨルダン、パレスティナ(イスラエル)をふくむ地域を指している。この地は交通の要衝であったので、様々な民族、文明が交錯した。そのためアラブ人の中には多数派のスンナ派イスラーム教だけでなく、特にレバノンの山岳地帯ではマロン派キリスト教徒イスラーム教ドルーズ派の集団が形成され、対立していた。19世紀中ごろ、列強の介入が始まり、フランスはマロン派キリスト教徒を支援し、イギリスは対抗上ドルーズ派と結びついて対立はさらに深くなった。
(引用)歴史上、「アラブの覚醒」とよばれるアラブ文芸復興運動は、こうした宗教・宗派対立をヨーロッパ列強が政治的に利用しようとする動向に対する危機感のもとに、この動向を乗りこえようとした運動であった。それゆえ、この運動が、宗教・宗派対立が列強の介入によって固定化の様相をしめすシリアの、政治的マイノリティであるマロン派キリスト教徒によって開始されたことは、至極当然であった。<坂本勉・鈴木董編『イスラーム復興はなるか 新書イスラームの世界史3』1993 講談社現代新書 加藤博執筆 p.94>

アラブ文化復興運動の内容

・ベイルートのキリスト教知識人サークル:アラビア語の中に民族の魂を見ようとした人文学者ナースィフ=アルヤーズィジーや、アラビアご教育のための国民学校をつくり、アラビア語大百科事典を書いたブトルス=アルブスターニーらは、教育や文芸を通して、アラビア語の文化伝統の共通性を強調し、アラブ民族としての自覚を訴えた。
・1868年、シリア科学協会で、詩人のイブラーヒーム=アルヤーズィジーは「立て、汝らアラブよ、目覚めよ」というアラブ主義を鼓舞する詩を朗読した。

アラブ民族主義への転換

 19世紀末、オスマン帝国が中央集権的支配を強化してくると、アラブ文化復興運動は単なる文芸上の運動にとどまらず、トルコ人の支配に対するアラブ人の政治的自立というアラブ主義の政治要求にと結びつき、次第にアラブ民族主義運動(アラブ=ナショナリズム)へと転化していく。しかし、多くのアラブ人は、依然としてオスマン帝国のスルタンをカリフとしていただく「イスラームの家」の意識が強く、アラブ人国家建設は具体化しなかった。
 一方で、アラブ人という民族的自覚からではなく、ムスリム(イスラーム教徒)であるとの自覚に立ち、民族や宗派の違いを越えて団結を呼びかけるアフガーニーが提唱したパン=イスラーム主義の潮流があった。この二つの潮流は影響し合ったり、対立したりしながら20世紀の中東の歴史の中で複雑に絡み合っていく。
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書籍案内

坂本勉・鈴木董編
『イスラーム復興はなるか 新書イスラームの世界史3』
1993 講談社現代新書