東インド会社が現地から傭兵を調達するようになった始まりは、1757年の
プラッシーの戦いの時である。これらの傭兵が
シパーヒーであるが、日本では
セポイという表記が一般的だった。彼らは高カーストに属し、規律正しく、有能であったので次第に重く用いられるようになり、19世紀には東インド会社の兵力の中心となっていた。反乱当時は20万のシパーヒーが存在したとされる。
1857年の
インド大反乱は、このシパーヒーの東インド会社への反発から始まった。
<長崎暢子『インド大反乱一八五七年』中公新書>