マレー連合州
1895年に結成され、翌96年に発足したマレー半島のイギリスによる保護国。第一次大戦後、マラヤ連邦として独立した。
マレー半島(マラヤ)は19世紀にイギリスの植民地となって、イギリス領マラヤが成立した。そこでは、スズ鉱の開発に始まり、ゴム園、鉄道の開設がイギリス人の手によって進められ、植民地支配が完成した。しかしそれはマレー人にとっては、この土地に押し込められ、分裂されていく始まりであった。半島の東岸と西岸が分断され、それぞれに人種集団の相違が絡んで、地域差が大きくなっていった。
マレー連合州の成立
イギリスは西岸のペラ、セランゴール、ネグリセンビラン、パハンの4国(かつてのマラッカ王国が衰退した後に生まれたイスラーム系小首長国があった地域)では内陸にスズ鉱が開発され、イギリスの手によって鉄道が敷設された。ゴム園も鉄道沿線に開かれて、イギリスの市場と直接結びついて発展した。1895年7月、この4カ国はイギリスの傘下に入り、協定によってマレー連合州となることが決まり、翌年7月に発足した。これはイギリスの保護国であり、イギリス人理事官がいっさいの行政権限を確保していた。イギリスのマレー半島分割支配
マレー連合州の成立により、マレー半島は次のように三分された。- イギリス直轄植民地(海峡植民地)=シンガポール、マラッカ、ペナン島
- マレー連合州(イギリスの保護国)=ペラ、セランゴール、ネグリセンビラン、パハン
- 非連合州=北部のケダー、ケランタン、トレンガヌー、および東南部のジョホールなどの小首長国