常設仲裁裁判所(国際仲裁裁判所)
1899年、ハーグ万国平和会議で合意され、1901年に設立された世界最初の常設の国際仲裁裁判所。主に国家間の紛争を仲裁する国際機関として重要であったが、第一次世界大戦後に国際連盟の機関の一つとして常設国際司法裁判所ができたことによりその役割は低下した。ただし廃止されたわけではなく、第二次世界大戦後も存続しており、1990年代以降には国家間紛争の仲裁にあたる機関として機能するようになっている。
1899年にロシアのニコライ2世の提唱でオランダのハーグで開催された第1回万国平和会議(国際平和会議)において、参加国が国際紛争の平和的処理に関する条約(国際紛争平和的処理条約)を締結し、それによって1901年、ハーグにおいて常設仲裁裁判所が世界最初の国際的司法機関として設立された。それは1907年の第2回ハーグ万国平和会議で締結された条約で再確認された。
注意 常設仲裁裁判所の名称 この用語集ではこの項を「国際仲裁裁判所」として記述していたが、その英語の名称は Permanent Court of Arbitration (略称PCA、arbitration が仲裁の意味)なので「常設仲裁裁判所」に訂正した。山川出版社『世界史用語集』の旧版(2009)も「国際仲裁裁判所」となっていたが、最新版ではその項は消えている。また実教出版『必携世界史用語』も「国際仲裁裁判所」としており、旺文社『世界史事典』では「国際仲裁裁判所」の項で「常設仲裁裁判所ともいう」としている。一方、ややくわしい山川出版社『世界史小辞典』では「常設仲裁裁判所」として「1901年設立された国際仲裁裁判所」と説明、角川『世界史辞典』も同様。このように用語集や辞典類で違いが見られるが、総合的に判断すればこの裁判所は個別の名称としては「常設仲裁裁判所」であり、それは普通名詞としての「国際仲裁裁判所」である、ということであろう。
つまりこれは国際裁判所の一つであるが、最初の「常設」であること(後述のように必ずしも常設の実態はないが)と、司法裁判ではなく「仲裁裁判」であることに意味があるので、「常設仲裁裁判所」とするのが正しいと言える。
意義と問題点 それまでは国際紛争の仲裁は、その都度当事国によって仲裁者が選定されて行われていた(つまり常設ではなかった)が、この条約により締結国はあらかじめ選任した裁判官をもって常設の仲裁裁判法廷を組織し、紛争が生じた場合は当事国双方の合意によってこの裁判所で審理されるという画期的な国際司法機関であった。しかし、常設といってもハーグに国際事務局が設けられたが、裁判官が常駐したわけではなく、条約締結国で登録された裁判官からそのつど選任することになっていたので、紛争国の利害が絡んで人選が進まなかったり、紛争に際して当事国が仲裁を受ける義務は明記されていないこと(つまり仲裁しても強制力がないこと)、などの問題点があった。
※創設から第一次世界大戦までに常設仲裁裁判所に付託された案件は17件だった。第一次大戦から第2次大戦の間、新設の常設国際司法裁判所に付託された国家間訴訟問題は29件であったが、常設仲裁裁判所は5件にとどまった。このように常設仲裁裁判所に付託された紛争はきわめて少なくなったが、実際には常設仲裁裁判所の裁判官名簿から常設国際司法裁判所の裁判官が選任されており、前者が後者を補う関係となっていた。<石塚智佐「近年における常設仲裁裁判所(PCA)の展開(1)」一橋法学6巻3号 2007>
なお、国際司法裁判所(ICJ)と似ている国際裁判所である国際刑事裁判所(ICC)がある。こちらは同じくハーグに1998年に設立された裁判所で、ジェノサイド、人道に対する罪、侵略の罪など戦争や地域紛争に伴う犯罪を犯した個人を裁く刑事裁判所であり、役割と機能が異なっている。
たしかに第一次世界大戦後、常設仲裁裁判所に付託された事案は少なくなったが、第二次世界大戦の前後にも特に国家間の紛争に対して仲裁・調停をつづけており、常設国際司法裁判所とその後継の国際司法裁判所とは別機関として存続した。常設仲裁裁判所は国際司法裁判所(および国際海洋法裁判所)が裁判には係争関係にある当事国双方の同意を必要としているのに対して、どちらかだけでも提訴できるというメリットがある。また、国際司法裁判所は国家でなければ提訴できないが、常設仲裁裁判所は国家、国際機関、私人でも提訴できる。国際司法裁判所は通常の裁判と同様に審理過程を公表しなければならないが、仲裁裁判は仲裁を目的とするので審理過程を公開しなくともよい。また通常は仲裁裁判の方が手続きが簡単ではやく結論が得られる。それらの点で常設仲裁裁判所は存在意義をもち、国家をまたがる仲裁裁定の役割を現在も持ち続けており、1990年代以降、PCA自身の制度的改革や活性化の試みがなされるようになったこともあって「PCAの復興」といわれるようになった。2000年代には資源問題や環境問題での役割が増大するものと思われる。<石塚智佐「上掲論文」>
南シナ海仲裁裁判 最近最も注目されたのが、2016年7月、フィリピンが、中華人民共和国の南シナ海における南沙諸島での人工島造成に対して、国連海洋法条約に基づいて常設仲裁裁判所に提訴したことだった。この裁判では第三国出身の裁判官5人が中国の主張する「九段線に法的な根拠はない」、「南沙海域に法的な島は存在せず、人工島も島ではない」などの判決を出した。ところが中国は外交担当国務委員載秉国が、仲裁は「紙くずに過ぎない」と断じ、無効で拘束力のない判決には従わないという姿勢をとり続けている。
現在の国際仲裁裁判所 一方、PCA以外の国際仲裁裁判所も多国間にまたがる国家間紛争や企業間の取引に関する国際商事紛争にあたる機関としての役割をもっている。国際仲裁裁判所(またはそれに準ずる機関)は厳密には裁判所ではなく、仲裁・解決するための調停機関であるが、国際慣行で「仲裁裁判」といっている。そのような仲裁裁判所は民間機関も含め、パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京などにおかれ、それぞれ第三国の裁判官が二国間の企業や個人の紛争を扱っている。多国籍企業が増大している現代では、ビジネスや商取引上の経済紛争が多国間に及ぶことが日常的になっており、国際仲裁裁判に付託されることが増え、代理弁護士や仲裁人として法律家が活躍するようになったので、国際弁護士を目指す若い人も多くなったわけである。<2021/10/26 小室さん結婚会見の日に記す>
注意 常設仲裁裁判所の名称 この用語集ではこの項を「国際仲裁裁判所」として記述していたが、その英語の名称は Permanent Court of Arbitration (略称PCA、arbitration が仲裁の意味)なので「常設仲裁裁判所」に訂正した。山川出版社『世界史用語集』の旧版(2009)も「国際仲裁裁判所」となっていたが、最新版ではその項は消えている。また実教出版『必携世界史用語』も「国際仲裁裁判所」としており、旺文社『世界史事典』では「国際仲裁裁判所」の項で「常設仲裁裁判所ともいう」としている。一方、ややくわしい山川出版社『世界史小辞典』では「常設仲裁裁判所」として「1901年設立された国際仲裁裁判所」と説明、角川『世界史辞典』も同様。このように用語集や辞典類で違いが見られるが、総合的に判断すればこの裁判所は個別の名称としては「常設仲裁裁判所」であり、それは普通名詞としての「国際仲裁裁判所」である、ということであろう。
つまりこれは国際裁判所の一つであるが、最初の「常設」であること(後述のように必ずしも常設の実態はないが)と、司法裁判ではなく「仲裁裁判」であることに意味があるので、「常設仲裁裁判所」とするのが正しいと言える。
意義と問題点 それまでは国際紛争の仲裁は、その都度当事国によって仲裁者が選定されて行われていた(つまり常設ではなかった)が、この条約により締結国はあらかじめ選任した裁判官をもって常設の仲裁裁判法廷を組織し、紛争が生じた場合は当事国双方の合意によってこの裁判所で審理されるという画期的な国際司法機関であった。しかし、常設といってもハーグに国際事務局が設けられたが、裁判官が常駐したわけではなく、条約締結国で登録された裁判官からそのつど選任することになっていたので、紛争国の利害が絡んで人選が進まなかったり、紛争に際して当事国が仲裁を受ける義務は明記されていないこと(つまり仲裁しても強制力がないこと)、などの問題点があった。
第一次世界大戦と常設仲裁裁判所
1914年、サライェヴォ事件が勃発したとき、セルビアは事態の処理を国際仲裁裁判所(つまり常設仲裁裁判所)に、または諸大国の決定に委ねる用意があると表明したが、オーストリアはその提案に一顧も与えることなく、直ちに宣戦を布告した。この挿話的事実は、国際平和維持のためにはヨーロッパ協調にも常設仲裁裁判所にも大きな期待をかけ得なかったことを象徴しているといえる。<岡義武『国際政治史』1955 再版 2009 岩波現代文庫 p.338>その後の国際裁判所
第一次世界大戦後の国際秩序の維持を図るために国際連盟が発足したが、その外部機関として常設国際司法裁判所(PCIJ)が設立された。それは常設仲裁裁判所(PCA)よりも実効性をもたせるため、裁判の判決には拘束力を持たせたることとしたものであり、またより国際法に準拠した裁判としての性格を強めるために「仲裁裁判」ではなく「司法裁判」所とした。ただし、常設仲裁裁判所が廃止になったわけではなく、両者は異なる性格の裁判所として併置され、第二次世界大戦後に常設国際司法裁判所が国際司法裁判所(ICJ)に変更になった後も常設仲裁裁判所は存続している。※※創設から第一次世界大戦までに常設仲裁裁判所に付託された案件は17件だった。第一次大戦から第2次大戦の間、新設の常設国際司法裁判所に付託された国家間訴訟問題は29件であったが、常設仲裁裁判所は5件にとどまった。このように常設仲裁裁判所に付託された紛争はきわめて少なくなったが、実際には常設仲裁裁判所の裁判官名簿から常設国際司法裁判所の裁判官が選任されており、前者が後者を補う関係となっていた。<石塚智佐「近年における常設仲裁裁判所(PCA)の展開(1)」一橋法学6巻3号 2007>
なお、国際司法裁判所(ICJ)と似ている国際裁判所である国際刑事裁判所(ICC)がある。こちらは同じくハーグに1998年に設立された裁判所で、ジェノサイド、人道に対する罪、侵略の罪など戦争や地域紛争に伴う犯罪を犯した個人を裁く刑事裁判所であり、役割と機能が異なっている。
現在も活動している常設仲裁裁判所
多く世界史用語集では、第一次世界大戦前に設立された常設仲裁裁判所(PCA)という国際的な仲裁裁判所は、帝国主義列強間の紛争や世界大戦の勃発に対しては無力であったため、活動を停止した、あるいは常設国際司法裁判所に肩代わりされた、と説明されているが、実際には消滅してはおらず、現在まで存続していることに注意しよう。たしかに第一次世界大戦後、常設仲裁裁判所に付託された事案は少なくなったが、第二次世界大戦の前後にも特に国家間の紛争に対して仲裁・調停をつづけており、常設国際司法裁判所とその後継の国際司法裁判所とは別機関として存続した。常設仲裁裁判所は国際司法裁判所(および国際海洋法裁判所)が裁判には係争関係にある当事国双方の同意を必要としているのに対して、どちらかだけでも提訴できるというメリットがある。また、国際司法裁判所は国家でなければ提訴できないが、常設仲裁裁判所は国家、国際機関、私人でも提訴できる。国際司法裁判所は通常の裁判と同様に審理過程を公表しなければならないが、仲裁裁判は仲裁を目的とするので審理過程を公開しなくともよい。また通常は仲裁裁判の方が手続きが簡単ではやく結論が得られる。それらの点で常設仲裁裁判所は存在意義をもち、国家をまたがる仲裁裁定の役割を現在も持ち続けており、1990年代以降、PCA自身の制度的改革や活性化の試みがなされるようになったこともあって「PCAの復興」といわれるようになった。2000年代には資源問題や環境問題での役割が増大するものと思われる。<石塚智佐「上掲論文」>
南シナ海仲裁裁判 最近最も注目されたのが、2016年7月、フィリピンが、中華人民共和国の南シナ海における南沙諸島での人工島造成に対して、国連海洋法条約に基づいて常設仲裁裁判所に提訴したことだった。この裁判では第三国出身の裁判官5人が中国の主張する「九段線に法的な根拠はない」、「南沙海域に法的な島は存在せず、人工島も島ではない」などの判決を出した。ところが中国は外交担当国務委員載秉国が、仲裁は「紙くずに過ぎない」と断じ、無効で拘束力のない判決には従わないという姿勢をとり続けている。
現在の国際仲裁裁判所 一方、PCA以外の国際仲裁裁判所も多国間にまたがる国家間紛争や企業間の取引に関する国際商事紛争にあたる機関としての役割をもっている。国際仲裁裁判所(またはそれに準ずる機関)は厳密には裁判所ではなく、仲裁・解決するための調停機関であるが、国際慣行で「仲裁裁判」といっている。そのような仲裁裁判所は民間機関も含め、パリ、ロンドン、ニューヨーク、東京などにおかれ、それぞれ第三国の裁判官が二国間の企業や個人の紛争を扱っている。多国籍企業が増大している現代では、ビジネスや商取引上の経済紛争が多国間に及ぶことが日常的になっており、国際仲裁裁判に付託されることが増え、代理弁護士や仲裁人として法律家が活躍するようになったので、国際弁護士を目指す若い人も多くなったわけである。<2021/10/26 小室さん結婚会見の日に記す>