統監府/韓国統監府
日本が第2次日韓協約によって保護国とした韓国に、1906年に設置した支配機関。
正式には韓国統監府。日露戦争後の1905年に日本は大韓帝国(略称が韓国)との間で、第2次日韓協約を締結し、その外交権を奪い、統監が韓国の外交を管轄することを認めさせた。それにもとづいて、1906年に韓国統監府が置かれ、元老の伊藤博文が統監に任命されて着任した。統監は大韓帝国の外交を管轄したが、外交の実務は東京の日本外務省がすべて行うこととなって、韓国の外交機関はすべて廃止となったので、イギリス・アメリカなど外国の公使もすべて京城を立ち去ることとなった。こうして事実上、朝鮮(韓国)は日本の一部となり、統監府がその内政も支配することとなった。
初代韓国統監伊藤博文は、退任後の1909年10月、ハルビンで安重根に射殺された。このことを受けて、日本政府はかねて計画していた韓国併合による直接統治に切り替え、1910年に実行した。これによって大韓帝国が消滅し、統監府は日本の統治機構として朝鮮総督府に改組される。
初代韓国統監伊藤博文は、退任後の1909年10月、ハルビンで安重根に射殺された。このことを受けて、日本政府はかねて計画していた韓国併合による直接統治に切り替え、1910年に実行した。これによって大韓帝国が消滅し、統監府は日本の統治機構として朝鮮総督府に改組される。