第三革命
1915年末、袁世凱の皇帝即位に反対して起こった軍の蜂起。袁世凱は帝政を廃止し、挫折。
第一次世界大戦が勃発すると、英・独・仏・露などヨーロッパ勢力がアジアから後退、その隙に日本が中国進出を企てた。大隈内閣は1915年、袁世凱政府に対し、二十一カ条要求を突きつけた。袁世凱は、その要求の大部分を受諾したため、激しい反対運動が起こった。また、袁世凱の独裁政治には、北洋軍閥内部からも段祺瑞らの反対勢力が現れて、その基盤が大きく揺らいでいた。そのような政権の危機に対し、袁世凱は思いきって皇帝となり、内外の反対勢力に超然とした権力をふるおうとした。その帝政運動に便乗しようとした勢力は、1915年8月ごろから帝政キャンペーンを開始した。
袁世凱の皇帝即位
袁世凱は形式的な国民会議に皇帝推薦を決議させ、1915年12月に即位を宣言、翌年1月に即位式を行うと発表した。これに対して、国内の有力な軍事指揮官たち、蔡鍔(さいがく)・唐継尭・李烈鈞らが帝政反対をかかげて軍事蜂起した。これが、1911年の辛亥革命で清朝を倒した第一革命、1913年の袁世凱の独裁強化に対して起こされた第二革命に次いで、第三革命と言われた。帝政廃止
袁世凱の皇帝即位は、あまりに時代錯誤であったこともあって、国内からだけではなく、日本・イギリス・ロシアなど中国に関わりの深かった三国も反対したため、やむなく翌年にはそれを取り消し、袁世凱自身もまもなく6月6日に失意のうちに急死し、革命は成功した。中華民国は、袁世凱によって廃止されていた臨時約法を復活させて、副総統であった黎元洪を大総統に選んだ。 この第三革命は、第一革命・第二革命と違って、孫文はほとんど影響力を行使できなかった。