直隷派
北京周辺の軍閥で、馮国璋らが牛耳った。安徽派・奉天派と激しく抗争した。
中華民国で北洋軍閥の袁世凱死後の主導権を、段祺瑞の安徽派と争った軍閥。直隷派の直隷とは、首都北京を含む現在の河北省のこと。馮国璋ら直隷省出身者が軍閥を形成し、安徽派と抗争した。はじめ安徽派に抑えられていたが、1919年に馮国璋が死んで首領となった曹錕が、イギリス・アメリカの支援と、奉天派の協力によって翌1920年、安徽派を破り北京の実権を握った(安直戦争)。しかしほどなく奉天派と対立、1922年にはそれを破り(第一次奉直戦争)、翌年大規模な国会議員の買収を行って大総統に就任した。しかし実権はその部下の呉佩孚に移った。1924年、奉天派の張作霖が再び北京を目指して第2次奉直戦争が起こると、直隷派の将軍の一人馮玉祥が裏切り、その手で曹錕は捕らえられ、直隷派政権は崩壊した。