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ベラルーシ

スラブ系民族でリトアニア、ロシアに支配され、ロシア革命後にソ連邦を構成した社会主義共和国となる。ソ連解体後は単独の共和国。


ベラルーシ GoogleMap
 かつてはベロルシア、白ロシア(英語名White Russia)などともいっていた。ロシアの西隣にあり、西にポーランド、北にラトヴィアとリトアニア、南にウクライナと接する。首都はミンスク。ベラルーシ人は民族的にはロシア人やウクライナ人と同じく東スラヴ人に属する。13世紀からは北方のリトアニア大公国の領土となり、1569年からリトアニア=ポーランド連合王国に属す。ポーランド分割の結果、ロシア領に編入された。その後はロシア帝国の影響下にあった。
 1919年1月、ロシア革命の影響でベラルーシ社会主義共和国が成立、1922年末のソヴィエト社会主義共和国連邦成立と共に、連邦を構成する一共和国としてそれに加わった。それ以降、実質的にソ連の一部として従属した。

国際連合の原加盟国となる

 第二次世界大戦中の1945年4月のサンフランシスコ会議で成立した国際連合には、ウクライナとベラルーシ(当時は白ロシア)はソ連と共に加盟し、原加盟国としてそれぞれ一票を与えられている。
 それは、ヤルタ会談で次のような三首脳の取引があったためであった。まずスターリンは社会主義国の議席を増やすことを狙ってウクライナとベラルーシの加盟を要求した。厳密には主権国家とは言えないこの二国が加盟すればソ連は自動的に3票もつことになるので、アメリカのF=ローズヴェルトは難色を示した。しかしチャーチルはイギリス帝国内の自治領インドを加盟させることでバランスをとろうとした。結局ローズヴェルトも国連安全保障理事会の拒否権問題でソ連の妥協を引き出すためには“多少の犠牲を払っても良い”との判断からスターリンの要求を呑んだ。その結果、ベラルーシ、ウクライナとともに、まだ正式に独立していなかったインド、フィリピン、シリアが参加することになったのだった。

ベラルーシ、ソ連からの分離独立

1991年、ソ連邦の解体に伴い、ベラルーシ共和国として独立、独立国家共同体(CIS)に加盟した。1994年以来、親ロシアのルカシェンコ大統領の長期政権が続いており、2020年、選挙不正を巡って激しい反政府デモが起こった。

 旧ソ連邦を構成したベラルーシは、現在ではロシアと同じ東スラヴ系の民族からなる。かつては白ロシアといわれた。首都はミンスク。公用語はベラルーシ語であるが、ロシア語に近く、ロシア語も準公用語とされている。

ソ連からの分離

 1991年、ソ連の解体に伴い、ベラルーシ共和国として独立、独立国家共同体(CIS)に加盟した。
 1994年の大統領選挙で当選した親露・保守派のルカシェンコ大統領は、その後憲法改正に成功して任期を延長、2006年に三選を果たし、長期政権を維持している。その結果、ロシアとの関係が強化され、1999年には両国で「連合国家創設条約」を締結した。連合化は具体的に進んでいないが、アメリカや他のヨーロッパ諸国はルカチェンコ大統領の独裁的な手法を批判し、ロシアとの提携を警戒している。

NewS ルカシェンコ大統領、不正選挙疑惑で大揺れ

 2020年8月9日に行われた大統領選挙では現職ルカシェンコが当選したとして大統領職に留まることになった。ルカシェンコは自他共に“最後の独裁者”と称して強権的な政治を継続することになる。その背後には親露派ルカシェンコを後押しするロシアのプーチン大統領がいる。
 この選挙に立候補した女性スベトラーナ=チハノフスカヤは36歳、夫は反政府活動の容疑で拘束されて立候補できず、身代わり立候補だったが、ルカシェンコの強権政治を批判し、世界的に注目を浴びた。しかし選挙結果は当局発表で80%の得票を得たルカシェンコが6選を果たした。開票直後から不正選挙の疑いが強いとして激しい抗議デモが発生、その後連日のようにデモが続いている。ルカシェンコは自らライフル銃で武装してデモを視察し、デモは反ロシア勢力の煽動によるものと非難するなど強硬姿勢を崩していない。チハノフスカヤ候補は危険をさけて出国し、国外から選挙のやり直しを求めている。またEUも不正選挙の疑いが強いルカシェンコの大統領は正当性に疑問があるとし、選挙のやり直しを勧告している。<AFPbb ニュース 図解混乱続くベラルーシ大統領選挙
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