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領土保全

1900年以来、アメリカが主張し、ワシントン会議の九カ国条約で確認された対中国外交の原則。

 1900年、アメリカ合衆国の国務長官ヘイが、前年の門戸開放宣言での中国の門戸開放と機会均等に加えて提唱した、中国に対する外交の原則。日清戦争での清の敗北を機に強まり、1898年に強まった帝国主義列強による中国分割の進行に対し、遅れていたアメリカが中国への進出を図るために提唱したものであった。それ以後、門戸開放・機会均等・領土保全は「ヘイの三原則」といわれるようになった。
 第一次世界大戦で欧米列強が後退したのに乗じて、日本は二十一カ条要求を認めさせ、独占的な権益を得た。またこの大戦によってロシア帝国・ドイツ帝国は消滅し、イギリス・フランスも相対的な地位を後退させ、代わってアメリカが中国に大きな発言権を持つようになった。アメリカは1921年~22年、ワシントン会議を開催して日本の中国における権益を抑えることに務めた。その結果成立した九カ国条約において、アメリカの主張のとおり、「門戸開放」の原則に基づき、中国の主権尊重、領土保全、および機会均等が約束された。また別に「山東懸案の解決」がはかられ、日本は山東における旧ドイツ租借地を返還し、二十一カ条要求の留保項目を放棄することが決められた。こうして中国の国際社会での地位はいちおうの保全がなされたが、同時に「門戸開放」によって外国資本の進出は前に増して激しくなり、大戦中に芽生えた中国民族資本の成長はたちまち抑えられることになる。
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