レザー=ハーン(レザー=シャー)
クーデタでガージャール朝を倒してイランの実権を握り、1925年にレザー=シャーとしてパフレヴィー朝を創始した。1930年代にドイツに接近、1935年には国号をイランに変更した。第二次世界大戦ではソ連とイギリスがイランに侵攻、その圧力により、1941年に退位させられた。
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ナチスに接近
独裁的な権力のもとで、イギリス・ロシアの影響力を弱めながら、宗教色を排除して世俗化、近代化を進めた。イランの独立を回復した偉人として評価される面と、独裁者として恐れられる面の両面があった。イギリスの石油利権に対しては1933年に新たな協定を結び、1バレルあたり4シリングのイラン政府の取り分を固定する60年の契約を結んだ。一方、イギリス・ソ連に対抗して思想的にドイツのナチズムに接近し、1935年3月には正式な国号をイランとしたが、それはドイツのヒトラーのアーリヤ人を特別視する思想の影響があった。西欧化=近代化政策
国号をイランに変更したことは、古代のペルシア帝国やササン朝の偉大な文明と国力を回復したいというナショナリズムの表出であるが、同時にイスラーム教の支配する宗教国家から脱却することを目指すものでもあった。レザー=シャーの時代に、イランでは商業活動や法律、政治に及ぶオスラーム色の払拭が図られ、西洋風の法律、官僚制度、学校制度の導入が進められた。パフレヴィー朝に於けるイラン回帰の動きは、ペルシア語の中のアラビア語などの外来語を排除して、言語の純化を図ろうとしたことにも現れ、文学でもイラン文学の古典である『王書』を研究が推奨された。
レザー=シャーの近代化政策で最も成功したのは軍隊だった。イランで初めての徴兵制を施行し、それまでの遊牧部族の軍事力に依存しない、近代的な軍隊を編成し、しかもそれを最高指揮官として統制することに成功した。従来のような有力部族の指導者でもなく、宗教指導者でもなかった無名の軍人がイランの統治に成功したのはこの軍隊に対する独占的な統制を確立したからであった。
トランスイラン鉄道の建設
レザー=シャーが近代化政策として最も積極的に取り組んだ施策の一つが、ペルシア湾沿岸ととカスピ海沿岸を南北に結ぶ、イラン縦貫鉄道の建設であった。鉄道建設は借款に依存せず、自前の資金調達を目的に砂糖専売法をまず制定し、そのうえで1927年2月に縦貫鉄道敷設法を第六議会で成立させた。南の起点は出来るだけイギリスの影響圏から離れた地点が選ばれ、カスピ海方面では出来るだけソ連の脅威から安全な地点が考慮された。鉄道はレザー=シャー直々の指導で進められ、山岳地帯や砂漠地帯を縫って長大なトンネルと橋梁を建設しながら、1938年に総延長1400kmにおよぶ全線が完成した。しかし、当初は期待された経済的効果を生み事はできなかった。首都テヘランを除けば主要な都市を結んでいなかったので、沿線での直接的な生産に貢献するわけではなく、鉄道建設には道路建設に比較して百倍もの資金を必要としたが、結果的に工業部門全体に投下された資本とほぼ同額が鉄道建設に投資されたことにより、国家の産業発展能力をかえって封じ込め、遅らせてしまったといえる。<羽田正編『イラン史』YAMAKAWA SELECTION 2020 山川出版社 p.233-234>
しかしこのトランスイラン鉄道は、第二次世界大戦で重要な働きをすることとなり、世界の注目を集めた。1941年6月、独ソ戦が始まり、ソ連が連合国側に加わったことで、ソ連への軍事支援が必要となったとき、このラインが最も近く、安全なルートとなったからであった。
レザー=シャーの退位
1941年8月にはイギリス軍・ソ連軍がドイツ人駆逐を名目にイランに侵攻し、親ドイツ的な信条を持っていたレザー=シャーは1941年8月25日には強引に廃位に追い込まれ、子のパフレヴィー2世に譲位した。自分が創った鉄道を利用しようとする連合国側の圧力で退位しなければならなくなったのは、レザー=シャーにとっては皮肉な結果だったと言える。レザー=シャーはイギリス領モーリシャスに流され、後に南アフリカに移され、1944年、ヨハネスブルクで死去した。大戦中、トランスイラン鉄道はアメリカ・イギリス・ソ連の兵士が協力して運用にあたり、ペルシア湾からカスピ海まで軍需物資が運ばれることとなり、ソ連の命綱ともなった。1943年11月には、チャーチル、F=ローズヴェルト、スターリンの英米ソ三首脳はトランスイラン鉄道の主要駅であるテヘランで会談した。それがテヘラン会談であった。
世界遺産 トランスイラン鉄道
そのトランスイラン鉄道は、2021年、世界遺産に登録された。登録された理由は、山岳地帯を縦貫する鉄道で、174本の大型橋、186本の小橋、224本のトンネル(うち11本は螺旋型トンネル)をもつこと、初期の多くの鉄道プロジェクトとは異なり、外国投資と管理を避けるために国の税金によって賄われたものであることが評価されたとなっている。アジア地域では珍しい近代産業遺産とされている。 → ユネスコ世界遺産センター トランスイラン鉄道参考 トランスイラン鉄道の建設と戦争利用
Source: Wikimedia Commons (Public Domain)
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第二次世界大戦中のトランスイラン鉄道。ソ連への物資補給ルーとして利用誰、アメリカ製の機関車が投入され、アメリカ兵・イギリス兵がその運行にあたった。
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ソ連への物資輸送にあたる米英兵