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産業別組織会議/産業別労働組合会議/CIO

ニューディール政策によって増加した非熟練労働者が結集し、1935年、アメリカ労働総同盟(AFL)内に生まれた産業別の労働組合組織。1938年に分離し、産業別組織会議となった。略称は共にCIO。

産業別労働者組織委員会

 1935年11月に、アメリカ労働総同盟(AFL)のなかの産業別の労働組合組織を主張する少数派が独自に設けた委員会に始まる。従来のアメリカの労働運動を推進してきたアメリカ労働総同盟(AFL)は、熟練労働者の利益を守るための職能別組合であったが、20世紀に入り、アメリカの産業のなかで非熟練の労働者が多数を占めるようになってきた。1920年代のアメリカ合衆国の戦間期には経済は繁栄したが、強気の資本家側による労働組合運動弾圧も強まり、AFLの組織人数も低下していった。また、多くの非熟練労働者の組織化は遅れ、労働組合の加盟率も低下していった。

ニューディール政策の労働政策

 1929年の世界恐慌によって一気に失業者が増え、社会不安が強まると、フランクリン=ローズヴェルト大統領が1933年からニューディール政策を開始し、その一環として国内産業を成長させるためには労働者の保護が必要であるという考えから、全国産業復興法を制定史、労働者の団結と団体交渉権を保障した。これは最高裁判所によって違憲と判定されたことから、1935年には改めてワグナー法(全国労働関係法)を制定し、労働組合運動に対する法的保護を実現した。
 それを機に、AFL内部の非熟練労働者を抱える組合は、産業別労働者組織委員会(CIO)を発足させた。指導者は鉱夫労働組合のジョン=ルイスだった。彼らは、1936年の大統領選挙ではF=ローズヴェルトの2選を強く支持しそれを実現させた。CIO傘下の組合員は、1937年までに158万人まで増加した。

産業別組織会議

 しかし、AFLは熟練工の職能別組合という性格を改めず、女性や黒人を排除し続けたので、産業別労働者組織委員会はAFLと袂を分かち、1938年11月に産業別組織会議(略称CIO Congress of Industrial Organization 、産業別組合会議ともいう)を結成した。
 産業別組織会議は、議長は同じくジョン=ルイスが務め、非熟練の女性や黒人などの以前からの熟練工中心の職能別組合からのけ者にされていた産業労働者と会社事務員を組織化するのに成功した。特に多く含まれた黒人の非熟練労働者は黒人差別に苦しんでおり、CIOの活動を通じて、後に黒人分離政策の撤廃を叫ぶ公民権運動にも参加していくこととなる。また、CIO労働運動には、アメリカ共産党もに深くかかわり、影響力を強めていく。黒人女性タバコ労働者は、共産党とともに反人種差別をかかげて1万人規模のストライキを闘い、会社側との団体交渉権を確立し、白人と協力して黒人の選挙権登録運動を行った。<上杉忍『アメリカ黒人の歴史』2013 中公新書 p.89>
 アメリカ労働総同盟(AFL)も巻き返しを図り、労働運動はこの二つの全国組織の下で1941年には800万人を越える組織をもつにいたり、第二次世界大戦後の1955年には両者は合同し、AFL=CIOといわれるようになる。<秋元英一『世界大恐慌』1999 講談社学術文庫 p.211-213>
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