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アメリカ労働総同盟/AFL/サミュエル=ゴンパース

1886年、アメリカで結成された全国的な労働組合組織。サミュエル=ゴンパースが指導した。熟練労働者の待遇改善を掲げ、未熟練工は排除し、政治活動も否定した。

 アメリカ合衆国最初の、労働組合の全国組織。1886年、オハイオ州コラムバスに集まった労働組合諸団体の代表は、今までの彼らの団体を解消してアメリカ労働総同盟 the American Federation of Labor (AFL)という団体を造り、既にできていた全国的職業諸組合、各州の組合連合会、おおび組合都市連合会の上に置くこととした。
 アメリカ労働総同盟は、指導者サミュエル=ゴンパース以来、政治活動には否定的で、政党を結成したり、支持政党を明確にすることはなかった。総同盟幹部が大統領選挙で特定の候補を支持することはあったが、二大政党の一方をもって他方に当たらせ、労働者にとって有利な政策を二大政党に競わせる方がよりよい方法だと確信していた。

サミュエル=ゴンパース

 ただの一年間だけを除いて1924年に死ぬまで会長を努めたのがサミュエル・ゴンパースである。彼は「単純な」労働組合主義を進め、社会主義者の影響力を抑え、労働時間と賃金、労働条件、団体交渉権、共済基金の積立、など実利のみを追求した。それは階級闘争を宣言することをさけ、資本主義体制を是認しその範囲内で労働者とくに熟練労働者の地位を改善しようとするものであった。その立場から、ゴンパースは労働組合が独自の政治活動を行うことに終始反対した。<ビーアド『新編アメリカ合衆国史』P.313、同『アメリカ政党史』p.112>

産業別組織会議の分離

 第一次世界大戦後の1920年代、アメリカ合衆国の戦間期は空前の繁栄期を迎えたが、一方では労働組合運動は厳しく弾圧された。1921年に500万人だった組合員数は、1933年には300万人以下になっていた。大恐慌のもとで相次ぐ解雇に対して、ストライキで戦いながら組合活動を継続し、1933年にフランクリン=ローズヴェルト大統領がニューディール政策を開始し、全国産業復興法によって労働者の団結と団体交渉権を保障されたことで労働者が大挙して労働組合に参加するようになった。
 しかしこの時期に労働組合に入ったのは、主に自動車、衣服、ゴム、鉄鋼などの産業別に組織された非熟練行動者であり、熟練労働者ではなかった。そのため彼らは、熟練労働者で組織する職能別組合であるアメリカ労働総同盟(AFL)とは別に、産業別組織会議(産業別労働組合会議、CIO)に結集した。1938年には組合員数において、CIOがAFLよりわずかに多くなると言う、変化がおこり、アメリカ労働組合運動は大きく変化した。CIO労働運動には黒人差別撤廃を叫ぶ黒人が多く含まれ、アメリカ共産党もそれらの運動に深くかかわるようになった。<上杉忍『アメリカ黒人の歴史』2013 中公新書 p.89>
 この産業別組織かイグ会議の分離に対して、アメリカ労働総同盟(AFL)も対抗策を講じて組織を立て直し、労働運動はこの二つの全国組織の下で第二次世界大戦を迎える。1941年には800万人を越える組合員を擁して大きな存在となり、第二次世界大戦後の1955年には両者は合同し、AFL=CIOといわれるようになる。<秋元英一『世界大恐慌』1999 講談社学術文庫 p.211-213>
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