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四カ年計画(ドイツ)

ナチス=ドイツは1936年10月、新たな経済計画を作成、民生より軍事優先を明確にした。総監にはゲーリングが就任した。

 ヒトラーは1935年に総統に就任、独裁的な国内体制を作り上げ、さらに再軍備を宣言、次いで1936年3月にはラインラント進駐を実行してヴェルサイユ体制を完全否定した。この路線はフランス、イギリスとの全面対決を予想された。またヒトラーはかねて東欧にドイツの生存圏を確保することを構想していたので、ソ連との対決は避けがたいものとも思われた。1936~37年の2年間は、ヒトラーの積極外交はスペイン戦争でのフランコ軍支援だけにとどめ、もっぱら来たるべき戦争に備えて軍備の増強とそれを支える国内経済の整備、ベルリン=オリンピック開催などの国威発揚の期間とした。その期間中に軍国主義推進のための新たな経済計画として立案されたのが、1936年10月の四カ年計画(しかねんけいかく)であった。

四カ年計画の意図と内容

 その内容は、「完全雇用と軍備のためにドイツの全資源を利用する」ための計画であり、その実施責任者としてゲーリングが任命され、彼に全権限が与えられた。以下、フランツ=ノイマンの『ビヒモス――ナチズムの構造と実際』の説明によって見てみよう。
(引用)1936年10月18日の四力年計画の制定によって、国民社会主義の経済政策は変った。いまや、完全雇用と軍備のための全資源の利用が、その目標となったのてある。その結果、軍備や戦争経済における、カルテルの位置も、また変った。四力年計画令は非常に短いもので、カルテル政策の方向については何ら具体的な指示を与えていない。それは次のように書かれている。
 「余(ヒトラー)が党大会において一時間にわたって発表した四力年計画の実現は、ドィッ民族全勢力の統一した志向と、党と国家の全能力の堅い結集とを必要としている。余は、四力年計画の遂行を、総理大臣ゲーリング元帥にゆだねる。総理大臣ゲーリング元帥は、彼に課せられた任務の達成に必要な諸条例を発布するであろう。またその範囲内て、執行令と一般行政規則を発布する権限をもつ。彼は、最高中央当局を含むあらゆる官庁当局、党のあらゆる事務局、党諸機関、および、党支部諸団体に、諮間しまた命令を出す権限が与えられる。」< P.236>
 戦争経済の主要機関はゲーリングが握っている。その最も重要な二つの政府機関は、四力年計面局と経済総監(フンク)てある。後者は軍需工業を除いた全経済活動を統制する。したがって、フンクは経済省であるぱかりでなく、同時に、労働、大蔵、食糧、森林の各大臣の上に立つ者でもある。今次大戦勃発以前には、経済省は、自分自身の州および市町村行政機構を全然持っていなかった。この欠陥は、一九三九年八月二七日および一○月二八日の「経済行政にかんする命今」によって是正されている。それによって、経済省の地方行政機構がつくられている。<P.220>
 大ドイッ帝国陸軍元帥ヘルマン・ゲーリングにひきいられる四力年計画局は、省に匹敵するものであるが、いくつかの点では、それよりもはるかに重要である。ゲーリングは、この資格で、四カ年計画総監の肩書をもっている。四力年計画局は、その職務を、一部には経済省内部で、また一部には特殊的商工業部門の総監代理たちを通して、また一部には自分自身の局を通して、遂行する。<ノイマン『ビヒモス――ナチズムの構造と実際』みすず書房 P.221>
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書籍案内

フランツ=ノイマン
『ビヒモス―ナチズムの構造と実際』
1963 みすず書房