印刷 | 通常画面に戻る |

スターリン憲法

1936年、スターリン独裁体制下で制定されたソ連の憲法。

 ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連邦)で、1936年に制定された憲法。第1次五カ年計画(1928~32年)が終わり、ソ連の社会主義建設が完了したと規定した。1924年公布のソヴィエト社会主義憲法に代わるものとして、1936年11月、スターリンが第8回全連邦ソヴィエト大会に提案して承認された。これによってスターリン独裁体制が確立したといえるので、一般に「スターリン憲法」と言われている。
 内容のポイントは次のような点である。
  • ソ連を社会主義建設が完了した社会と定義。ここで社会主義とは「各人よりはその能力に応じて、各人にはその能力に応じて」成り立っている社会を言う。(「各人にはその必要に応じて」配分される共産主義社会とは区別され、それはまだ実現していないとされる。)
  • 階級対立は消滅したが、階級そのものはは消滅したのではない。労働者と農民の友好的階級と、勤労インテリゲンツィアが存在し、平等な諸権利、市民権を持つ。(搾取者は存在しなくなったとされたので、1918年憲法での資本家・地主・聖職者などの選挙権剥奪規定は無くなった。)
  • 国家は社会主義のもとでは弱まる存在だが、周囲を資本主義国に囲まれている現状では強化される。
  • 国家権力の最高機関は最高会議(ソヴィエト)である。これは「連邦会議」と「民族会議」の二院制より成り、普通・平等・秘密・直接の選挙で選ばれる。
  • 最高会議は「最高会議幹部会」(内閣に相当する。その議長が首相に相当する。)を選挙する。また、人民委員会議(戦後、閣僚会議に改称)を任命し、最高裁判所を選挙し、検事総長を任命する。
  • 勤労者代表ソヴィエト、国営企業、コルホーズなど各級の国家機関に関する規定。
  • ソ連邦を構成する共和国(当時11)は分離権を持つ。各民族は平等であり、自治が認められる。
  • 国民は労働、休息、教育、社会保障などの権利を持つ。信仰、言論、出版、集会、デモなどの自由を持つ。しかしこれらの自由は「社会主義体制を強化するため」にのみ与えられる
  • ソ連共産党は「あらゆる組織の指導的核」であるとされる。

スターリン憲法の意図と批判

(引用)この三六年の政治改革、つまり選挙改革と憲法改正とは内外での緊張緩和を演出する意図があった。二月にはモロトフは、スターリンの意向を受けて憲法改正を発議するが、それは経済の国有化・社会化が基本的に終わり、「所有関係が社会主義となって、階級関係が変わったから」であった。プロレタリア独裁の課題が終わり、ソビエトの民主化が課題である。もはやソ連には抑圧階級や資本主義階級は一掃されて存在しない。したがって公開選挙でなく、秘密投票を導入し、階級原理は廃止する、というものである。
 モロトフはフランスの新聞「レ・タン紙」に、自由平等な普通選挙制度とは他のどこにもない制度であるとを強調した。もっとも「社会民主労働党のボリシェビキとメンシェビキのような複数政党制の導入」についてはきっぱりと否定し、共産党は一体であって、分派が多党制を生む傾向はないと考えた。
 これらの新路線は階級独裁論への裏切りではないか? そう古参ボリシェビキが考えたとしても不思議ではない。事実、この憲法改正などの路線にもっとも批判的論考を掲げたのは海外にあったトロツキーとその支持者たちであった。憲法改正はプロレタリアート独裁を解消し、ブルジョワ民主主義に戻るものだと、三六年憲法を激しく批判したトロツキーの『裏切られた革命』は、その意味では原理主義からの批判であった。ソビエトを議会主義に帰る憲法改正は後退だ、社会主義的諸原理からブルジョワ的原理への後退であるとして、トロツキーはかわりに、スターリン官僚制を除去する政治革命を主張していた。<下斗米伸夫『ソ連=党が所有した国家』2002 講談社選書メチエ p.94>