日華新協定
1943年1月、日本が中国南京政府(汪兆銘政府)に対し租界還付、治外法権撤廃を認めた協定。
日本政府は、1942年12月21日の御前会議で「大東亜戦争」完遂のため対支処理方針を決定、南京の国民政府(汪兆銘政府)の政治力を強化するとともに、重慶政府(蔣介石政府)に対する和平工作は一切行わないとした。
それをうけて南京政府(汪兆銘政府)は1943年1月9日、イギリスとアメリカに宣戦を布告、戦争完遂についての日華共同宣言が発せられた。同じ日、租界還付および治外法権撤廃に関する日華新協定が調印された。同年10月には先の日華基本条約を破棄して同盟条約を締結した。これらの措置により、形式的には、南京の国民政府は日本と対等の地位を得ることとなった。<中村隆英『昭和史Ⅰ』1993 東洋経済 p.315>
→ 不平等条約の撤廃
それをうけて南京政府(汪兆銘政府)は1943年1月9日、イギリスとアメリカに宣戦を布告、戦争完遂についての日華共同宣言が発せられた。同じ日、租界還付および治外法権撤廃に関する日華新協定が調印された。同年10月には先の日華基本条約を破棄して同盟条約を締結した。これらの措置により、形式的には、南京の国民政府は日本と対等の地位を得ることとなった。<中村隆英『昭和史Ⅰ』1993 東洋経済 p.315>
→ 不平等条約の撤廃