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ヴァンデンバーグ決議

1948年、アメリカ議会(上院)で共和党ヴァンデンバーグ議員が主導して可決された、アメリカが孤立主義と訣別しヨーロッパでの軍事的共同防衛に参加することを認めた決議。これによってアメリカは北大西洋条約機構(NATO)に加盟した。

 1948年6月11日、アメリカ合衆国上院外交委員長ヴァンデンバーグ(共和党)が主導して上院で可決したもので、北大西洋条約を締結し、NATOに加盟する前提として、アメリカが孤立主義を捨てて集団防衛条約に参加すること、その際に締約国にはアメリカが攻撃された場合に集団的自衛権を行使する決意を表明することを条件としてあげた。以後、アメリカの相互防衛条約一般の基準とされている。<佐々木隆爾『新安保体制下の日米関係』2007 山川出版社 日本史リブレット67>
 この決議によって、アメリカ合衆国は共産主義との対決という名目のために、北大西洋条約機構に加盟することとなり、従来のアメリカ外交の原則であったモンロー主義以来の孤立主義を放棄して、集団的自衛権に依存する外交姿勢をとることに転換した。

ヴァンデンバーグの転換

 ヴァンデンバーグ Arthur Hendric Vandenberg 1884-1951 はミシガン州出身で、ミシガン大学卒業後、地元新聞の編集を行い、1928年に共和党から上院議員に当選。30年代の共和党保守主義を主導し、外交ではモンロー以来の孤立主義の堅守を主張していた。しかし、第二次世界大戦後、国際協調主義に転じ、1945年のサンフランシスコ会議に出席してアメリカは孤立主義を廃棄すべきであるという演説を行い、それは戦後の冷戦期のアメリカの外交政策の画期的な転換点となった。
 しかし、ヴァンデンバーグは「国際協調」の立場に転換して孤立主義の放棄を主張したのではなかった。ヴァンデンバーグを動かしたのはソ連に対する危機感であり、警戒感であった。1946年1月10日にロンドンで開催された国際連合の第1回総会にヴァンデンバーグは合衆国代表団の一員として参加したが、そこで見たのはソ連軍のイラン駐留問題などでの安全保障理事会で拒否権を行使するソ連の強硬な姿勢だった。共和党大物上院議員であったヴァンデンバーグは帰国後の2月27日、議会で国連におけるソ連の行動を強く批判し、今や世界は二陣営に分かれつつあり、アメリカは確固たる立場を取らねばならぬと演説した。
(引用)経済的混乱が続く西ヨーロッパの状況も、危機感を強めていた。伝えられたフランスなどでの共産党の躍進は、合衆国政治の右から中間に位置した人びとの不安を誘った。ヴァンデンバーグの発言は、米英ソ三国の戦時大同盟から、戦後世界を二分する冷戦へと、国際政治と軍事の枠が急速に再編成へと向かう、重要な転機となる動きの一つだった。<紀平英作『歴史としての核時代』世界史リブレット50 1998 山川出版社 p.29-30>
 このようなヴァンデンバークの主導による1948年6月11日の上院決議によって、アメリカは共産主義の脅威から西ヨーロッパを防衛するという軍事的責任を負い、NATOに加盟することになる。
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書籍案内

紀平英作
『歴史としての核時代』
世界史リブレット 50
1998 山川出版社

佐々木隆爾
『新安保体制下の日米関係』
日本史リブレット 67
2007 山川出版社