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ナサコム/NASAKOM

1960年代前半、インドネシアのスカルノ大統領が掲げた挙国一致体制。ナショナリズム・宗教(イスラーム教)・共産主義を融合させたもの。1965年の九・三〇事件で崩壊した。

 インドネシアの1960年代前半の、スカルノ大統領が独裁体制を強めた時期の国家体制をいう。NASAKOMとは、インドネシア語の民族=ナショナリズム(Nasionalisme)、宗教(Agama)、共産主義=コミュニズム(Komunisme)の頭文字をくっつけた造語。民族主義・イスラーム教・共産主義を融合させた、インドネシア独自の国家建設の理念としてスカルノによって打ち出されたものであった。

スカルノ大統領の独裁体制

 独立後のインドネシア共和国では、50年代に議会政治が始まったものの様々な政党が乱立してあんてしなかった。スカルノは以前から、西洋型の議会制民主主義はインドネシアには適合しないとして、「指導される民主主義」と称して家父長的な指導者による国家運営を提唱していたが、スカルノ大統領の政治基盤も不安定であったため、1959年7月5日に議会を解散し、議院内閣制を定めていた50年憲法を廃止して、大統領に強大な権限を認めていた45年憲法を復活させ、それによって大統領の独裁的な体制を可能にした。そのもとでは、民族主義政党としてインドネシア国民党、宗教政党としてナフダトゥル=ウラマ党(イスラーム政党)、インドネシア共産党のみが存在を許され、他の政党は活動を停止させられた。この体制のもとで1960年からは国会議員選挙は行われず任命制となり、民主政治は形骸化した。
 ナサコム体制のもとで共産党が与党として台頭すると、軍部や大資本、アメリカが危機感を抱き、1965年の九・三〇事件を期に、スカルノ体制は崩壊し、スハルト政権が出現する。 
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