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新パナマ運河条約

1977年、アメリカのカーター大統領がパナマとの間で、パナマ運河の返還に同意、1999年の返還を約束した条約。

 1977年9月、アメリカのカーター大統領とパナマのトリホス大統領の間で締結されたパナマ運河のアメリカからパナマへの返還に関する条約。1903年11月18日に締結されたパナマ運河条約によって、運河地帯の主権が永久にアメリカに譲渡されていたが、第二次世界大戦後の民族的自覚の高まりによって、パナマにおいても運河地帯の主権回復の要求が強まったことにより、1999年に返還することを約束した。

トリホス大統領

 大戦後もパナマには長くアメリカと結びついた一部特権階級の利益を代表する政権が続いていたが、1968年にクーデターによって実権を握ったトリホス大統領は、地主などの特権階級の権益を抑え、大衆の政治参加の道を拓くなどの革新的な改革を行った。トリホス政権は、パナマ経済の発展にはパナマ運河地帯の主権を回復し、パナマ運河の利益をパナマ自身が受け取るべく、アメリカと積極的な交渉を開始した。

カーター大統領

 1977年にアメリカにおいて、それまでの共和党政権に変わり大統領となった民主党のカーターは、リベラル派の立場から、人権外交を標榜していたので、交渉に応じ、1977年に新パナマ運河条約が成立した。それによってアメリカは1999年末までに運河を返還(2000年からパナマ領に復帰させる)ことを約束した。アメリカはパナマ運河領有権の返還するかわりに、戦時下の運河地域の中立とアメリカ船の航行権の保証を得ることによって実質的な優先使用権を確保しようとした。カーターはラテンアメリカ地域との関係改善を期待して条約を締結したが、アメリカ議会では保守派が反対し、上院では3分の2をわずか1票上回って承認された。

アメリカ軍のパナマ侵攻

 カーター政権に代わって登場したレーガン大統領以降、共和党政権はブッシュ政権へと継承された。ブッシュ(父)政権下で再び「強いアメリカ」を誇る外交政策を採るようになったアメリカは、パナマ運河の権益を失うことを恐れ、パナマのトリホス大統領に代わって大統領となったノリエガ将軍が、独裁的な権力をふるい、国際的な麻薬組織と結びついているということを理由に、1989年にパナマ侵攻を実行し、ノリエガ政権を倒した。しかしこのようなアメリカの直接的な軍事介入は国際的批判を浴び、結局パナマ運河は、新パナマ運河条約の規定どおり、2000年からパナマの領有に復した。

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