米中国交正常化
1971年のキッシンジャーの中国訪問から始まった米中国交回復の動きは、72年のニクソン大統領の訪中を経て、79年のカーター大統領の時に実現した。
1970年代に、それまで東アジアにおける共産政権としての中華人民共和国を敵視する政策を続けていたアメリカの外交方針が大きく転換した。米中国交回復の動きは、ベトナム戦争の行きづまりを打開しようとしたニクソン大統領の側近キッシンジャーによって極秘裏に着手され、1971年の中国訪問から始まり、1971年7月15日に、来年2月のアメリカ大統領ニクソンの中国訪問が発表され世界を驚かせた。ニクソンの訪中は1972年2月21日に行われ、毛沢東と会見、米中共同声明(上海コミュニケ)で相互に相手国の主権を認め、平和共存五原則に基づく国交を開くことで一致した。
台湾問題の解消 この交渉では台湾問題が最も厳しい交渉となったが、結局アメリカは台湾からの駐留軍を撤退させる代わりに、武器援助は続けることで妥協が成立した。その結果、アメリカは台湾政府(中華民国)と断交し、1980年に米華相互防衛条約が失効した。これで中国の建国以来の脅威となっていた台湾海峡危機は解消されることになったが、21世紀になって中国の大国化が顕著になった結果、再び緊張が生じている。 → アメリカの外交政策
米中の正式な国交回復
1972年には米中双方による事実上の相互承認が行われたが、正式な国交正常化ではなかったので、さらに両国の協議が続けられ、1979年1月1日に鄧小平が中国の要人(副主席)として初めてアメリカを訪問、カーター大統領との間で米中の国交正常化で合意された。台湾問題の解消 この交渉では台湾問題が最も厳しい交渉となったが、結局アメリカは台湾からの駐留軍を撤退させる代わりに、武器援助は続けることで妥協が成立した。その結果、アメリカは台湾政府(中華民国)と断交し、1980年に米華相互防衛条約が失効した。これで中国の建国以来の脅威となっていた台湾海峡危機は解消されることになったが、21世紀になって中国の大国化が顕著になった結果、再び緊張が生じている。 → アメリカの外交政策