カザフスタン共和国
中央アジア5ヵ国の一つ。カザフ草原のトルコ系カザフ人を中心とした国家。ソ連邦を構成した社会主義国で会ったが、1991年のソ連解体にともない独立した。
カザフスタンの位置
※2019年に都市名がヌルスルタンに変更になった。これはナザルバエフ前大統領の名前そのものである。
カザフ国家の歴史
カザフは、かつてのキプチャク=ハン国に支配されていた、トルコ系民族が遊牧生活を行っていた地域である。キプチャク=ハン国衰退後はトルコ系遊牧民のカザフ人の部族社会が続いていたが、18世紀中ごろまでにロシアの勢力がおよび、東に隣接する清朝の侵入も受ける。19世紀中ごろまでにロシア領とされ、ロシア化が進んだ。ソ連時代と独立
ロシア革命後の1920年にキルギス(当時、ロシアでは誤って現在のカザフをキルギスと呼んでいた)自治共和国となるが、1924年に南のトルキスタンの一部を加えてカザフ自治共和国となり、1936年にソヴィエト社会主義共和国連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国となった。首都は29年からアルマアタ(現在のアルマトイ)とされた。ロシア帝国時代からロシア人の移住が続き、ソ連邦内ではウクライナに次ぐ広大な土地を有し、集団農場による穀物増産が推進された。1991年のソ連の解体によってカザフスタン共和国として独立し独立国家共同体(CIS)に加わった。ナザルバエフの独裁権力 ソ連邦内の共和国大統領であった共産党第一書記ナザルバエフが初代大統領となり、その後も再選を続け、独裁的な権力を維持してきた。たびたびの憲法改正で大統領任期は次々と延期され、また大統領選挙は行われるが事実上の対抗馬のいない選挙でナザルバエフが100%近い得票を獲得してきた。国会議員選挙も行われるが、比例代表制でこちらもほぼ100%、与党が占めている。ナザルバエフは圧倒的な支持を作り上げ、ユーラシア主義を標榜してロシアと中国の間にあってその地位を維持してきた。2019年3月19日、突如引退を表明、後継者トカエフが就任したが、自身は国家最高指導者という地位に残り、長女のダリガが次の大統領になると予想されている。