第3章 内陸アジア世界・東アジア世界の形成
◀ 第1節 草原の遊牧民とオアシスの定住民 ▶
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ア.遊牧民の社会と国家
ノート(ア)
イ.スキタイと匈奴
ノート(イ)
解説:スキタイの文化と社会
スキタイ人 紀元前6世紀から前3世紀ごろ、南ロシア草原の黒海北岸で活動し王国を建設。その騎馬や金属器の技術は草原の道(ステップ=ロード)を通り、中央アジアに伝えられた。スキタイ人の存在はヘロドトスの『歴史』でも知られ、その活動地域で彼らの墳墓が多数発見され、左の写真のような動物意匠を持つ金属器の遺品が注目されている。
解説:月氏と大月氏
月氏は前3世紀の末に冒頓単于の匈奴に敗れて西方に逃れ、天山山脈の北のイリ地方に移動した。それを大月氏と言う。大月氏はさらに烏孫に追われ、パミールを超えてソグディアナに入り、ギリシア系のバクトリア王国を滅ぼし大月氏国を建設した。漢の武帝は張騫を大月氏国に派遣し、匈奴を挟撃することを誘ったが、大月氏国はそれに応えなかった。その後、大月氏の一族と言われるクシャーナ人が台頭し、後1世紀にバクトリアから北インドにかけてクシャーナ朝を成立させた。なお、中国ではこのクシャーナ朝も大月氏国と呼んでいる。
解説:冒頓単于
「ぼくとつぜんう」とよむ。単于は王の称号。父の頭曼単于を殺して単于の位につき、秦に奪われた地を回復し、月氏を討って西方に敗走させ、広大な帝国を完成させ匈奴帝国最盛期をもたらした。前200年、漢の高祖の軍を平城付近の平登の戦いで7日間に渡って包囲して破った。敗れた高祖は、特使を冒頓単于のもとに送り、王室の女性の公主(天子の娘)を単于の妻としてさしだし、毎年、絹、まわた、酒、米などを贈りもとする和議を結んだ。
解説:匈奴
匈奴は前漢の武帝の圧迫を受けて次第に衰退し、まず前59年ごろ東匈奴と西匈奴に分裂し、西匈奴は遠くイリ川西岸に退いたが、漢と同盟した東匈奴によって滅ぼされた。モンゴル高原に残った東匈奴はさらに紀元後48年に南匈奴と北匈奴に分裂した。南匈奴は後漢に服属して次第に漢化しながら、五胡の一つと言われるようになり、後漢衰退後は華北でいくつかの小国家を造った。北匈奴は後漢や鮮卑に圧迫されて衰えたが、その一部がさらに西進してフン人となったという説もある。
ウ.オアシス民の社会と経済
ノート(ウ)