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第2章 アジア・アメリカの古代文明

 ◀ 第4節 南北アメリカ文明 ▶ 

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ア.アメリカ先住民 ノート(ア)
■POINT 南北アメリカ大陸への人類の渡来、文明の形成とその特色について学ぶ。

解説:アメリカ対立への人類の渡来

 アメリカ大陸では猿人、原人、旧人の化石人骨は見つかっていない。氷河時代には海面が現在よりも100mあまり低く、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きだった時期に、ホモ=サピエンス(新人)段階の狩猟民が波状的に北アメリカ大陸に移動した。彼らは約1万年前には南アメリカ大陸南端まで達した。(序章 人類の拡散を参照)

補足:

 アメリカのコロラド州にあるメサ=ベルデ遺跡は、北米プエブロ=インディアンが残した遺跡で、10~11世紀ごろ彼らが崖を利用して日乾し煉瓦をくみ上げてつくった高層住宅群。現在世界遺産に登録されている。

解説:コロンブス交換

 新大陸原産の作物には他に、トウガラシ・ピーマン・インゲン豆・カボチャ・落花生・カカオ・タバコなどがある。反対に旧大陸から新大陸にもたらされた作物には小麦・サトウキビ・米などがある。新大陸には鉄器・馬・車などと共に天然痘やインフルエンザが持ち込まれ、インディオ人口減少の一因ともなった。このような新旧両大陸間のさまざまな交換を「コロンブス交換」という。

解説:マヤ文字

マヤ文字  マヤ文明では絵文字が使用されたことがわかっているが、その大部分は、スペイン人宣教師によって異教のものとして焼かれて失われてしまった。現在残っている資料は、世界に三点しかない。それでも現在その解読が進んでいる。マヤの絵文字は人物や動物をかたどった具象的なもので、暦と関係が深いことが特徴であり、表意文字としてだけでなく表音文字としても使われたと考えられている。

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イ.マヤ・アステカ文明とインカ帝国
ノート(イ)

解説:マヤの暦

 マヤの天文学は火星や金星の軌道を計算しており、それをもとに精密なマヤ暦をつくっていた。マヤ暦は太陽暦とともに13日と20日とからなる二つの周期を組み合わせた、260日で一巡する独自の暦が用いられていた。マヤ文明は10世紀ごろトルテカ人に攻撃されて衰退した後も存続したが小国に別れて争い、次いでスペイン人の侵入に抵抗を続けたが、17世紀ごろ滅び、忘れ去られてしまった。

解説:テノチティトラン

 テノチティトランはテスココ湖の湖上に築かれた湖上都市で、14世紀に建設され、16世紀には人口20~30万におよんだ。1521年、スペインのコルテスによって王宮は破壊され、その上に新たなメキシコ市が建設された。テスココ湖は17世紀から排水工事が行われ、現在は北東部にわずかに残るだけになっている。

補足:ナスカ文化

ナスカの地上絵  ナスカ文化はペルーの南部海岸地方に生まれたアンデス文明の地域文化の一つ。トウモロコシなどの栽培と漁業、狩猟を行っていた。最も発達させたのは多彩色彩・造形と絵柄のモチーフ(魚や動物)を有する土器と、木綿と毛織物の織布技術である。巨大な地上絵で有名であるが、まだその意味は解明されていない。

解説:インカ文明

 インカとは、もともとクスコに住んでいた部族の名前であったが、この地に侵入したスペイン人が、その国や皇帝をもインカと言ったため定着した。インカには文字がないので正確には分からないが、1200年頃、クスコに小国家をつくり、15世紀の中頃のパチャクチ皇帝の時、アンデス全域にその支配を及ぼした。しかしまもなく帝位継承で争いが生じ、対立が続いた。16世紀、そこに侵入してきたのがスペイン人であった。スペインの侵入とインカ帝国の滅亡は第8章で扱う。

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南北アメリカ文明 解説終わり
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