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プラタイアの戦い

ペルシア戦争での陸戦で、前479年、スパルタとアテネ連合軍がペルシア軍に勝利した。

 プラテーエー、プラタイアイとも表記。第4次ペルシア戦争での、ペルシア軍とアテネ・スパルタ連合軍の陸上での戦い。サラミスの海戦で敗れたペルシア軍は、陸軍が越冬し翌479年に決戦を挑んだ。プラタイアの平原に迎え撃ったアテネ・スパルタ連合軍はスパルタの将軍パウサニウスの指揮の下、苦戦の末その進撃を食い止めた。スパルタのパウサニウスは名声を高めたが、祖国スパルタではペルシア王と内通しているとの噂が立ち、喚問された上で神殿に閉じこめられ餓死したという(前470年)。

Episode 悪人はよい死に方ができないこと、パウサニアスの場合。

 パウサニアスはスパルタの王族で、ペルシア戦争のプラタイアイの戦い(前479年)の立て役者であったにもかかわらず、のちには祖国をペルシアに売ろうとしたとの嫌疑で何度も裁判にかけられた。プルタルコス『倫理論集』308Bによると、彼はペルシア王クセルクセスから莫大な賄賂を受けたことが発覚してアテネ神殿に逃げ込んだが、父クレオンブロトスが神殿を煉瓦で塞いで息子を餓死せしめ、さらに母親が息子の遺体を野ざらしにした、とある。<アイリアノス/松平千秋・中務哲郎訳『ギリシア奇談集』岩波文庫 p.157 訳者による註>
 ローマの人アイリアノスが2世紀ごろに書いたという『ギリシア奇談集』には、パウサニアスについてのいくつかの記事がある。まず、第3巻47話の「ティモテオスその他、功績が身を助けなかった人たちのこと」には
(引用)スパルタの将軍パウサニアスの場合も、プラタイアイの戦いでの勝利が何の助けにもならなかった。ビュザンティオンで政変を企て、ペルシアと気脈を通じようとしたために、以前の功績に対して受けた感謝の念をすっかり失ってしまったのである。<アイリアノス/松平千秋・中務哲郎訳『ギリシア奇談集』岩波文庫 p.145>
続いて巻4の7話「悪人はよい死に方ができないこと、パウサニアスの場合」では
(引用)悪人にとっては死すら何の益にもならない。それは、死に及んでも安息が得られず、まったく埋葬もされないか、たとえすでに埋葬されていたとしても、この人生の最後に受ける礼遇であり、死後万人が等しくたどり着く港ともいうべきもの(葬儀、墓)からさえ追い出されることがあるからである。現にスパルタ人は、ペルシアに内通したパウサニアスを餓死させたばかりでなく、その遺体を国境の外に打ち捨てた、とエピティミデスが伝えている。<アイリアノス/松平千秋・中務哲郎訳『ギリシア奇談集』岩波文庫 p.145>
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ノートの参照
1章2節 キ.ペルシア戦争とアテネ民主政
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アイリアノス
/松平千秋・中務哲郎訳
『ギリシア奇談集』
1989 岩波文庫