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ヘラクレイトス

古典期ギリシアの自然哲学者。前6~5世紀初め、万物の根源を探求し、「万物は流転する」と結論づけた。

 ヘラクレイトス(前540年頃~前480年頃)は、イオニア自然哲学の一人で、イオニア地方のエフェソスで生まれた。その著作は伝わっておらず、残された多くの断片も理解が困難なものが多く、最も難解な哲学者の一人と言われている。一般に、イオニア自然哲学の中にあって、「万物の根源(アレテー)は水である」と考えたタレース、「数である」としたピタゴラス、「無限定なものである」としたアナクシマンドロスらに対して、ヘラクレイトスは、万物の根源にある物質は一定のものではなく、常に変化すると考え、その基になるのは火であるとした。その考えを端的に「万物は流転する」(パンタ・レイ)と言った。
 ヘラクレイトスには「時は遊び戯れる子供」という言葉を残しており、同一なるものの永劫回帰を説いて、ニーチェの先達とも言われている。

ヘラクレイトスの政治嫌い

(引用)エペソス(エフェソス)のひと、ヘラクレイトスは、古い王族の家柄を出自としているといわれる。その説がきわめて難解であったからなのか、「闇(くら)いひと」「謎をかける人」と呼ばれていた。生粋の政治嫌いで、法律の制定をもとめるエペソスのひとびとの懇願をにべもなくことわり、子どもたちに交じって、サイコロ遊びに興じていたと言われる(『ギリシア哲学者列伝』)。「エペソスのやつらなど成人はみな首をくくってしまえ」と暴言を吐いたともつたえられている(断片B)文体の晦渋は古代人をもすでに悩ませていたいたらしく、ヘラクレイトスの文章には、句読点を打つことも困難であると、とアリストテレスが嘆じている(『修辞学』)。<熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』2006 岩波新書 p.25>

Episode ヘラクレイトスの悲惨な最期

(引用)そして最後には、彼は人間嫌いになって、世間から遠のいて山のなかにこもり、草や葉を食糧としながら暮らしていた。しかしまた、そのことゆえに、彼は水腫症に罹ったので、町に戻り、そして医者たちに、洪水を干魃に変えることができるかどうかと、謎をかけるような形で問いかけた。しかし医者たちは、その問いの意味が理解できなかったので、彼は牛舎へ行って牛の糞のなかに身体を埋めて、糞のもつ温もりによって体内の水分が蒸発してくれることを期待した。しかし、そんなふうにしても何の効き目もないまま、彼は六十歳で死んだのである。<ラエルティウス『ギリシア哲学者列伝』下 岩波文庫 p.92>
 → この話は、ローマ皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌスが『自省録』で触れている。
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書籍案内

熊野聡彦
『西洋哲学史
―古代から中世へ』
2006 岩波新書

ラエルティウス
/加来彰俊訳
『ギリシア哲学者列伝』
下 岩波文庫