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マルクス=アウレリウス=アントニヌス

2世紀後半、五賢帝の5番目の皇帝。ストア派の哲学者としても知られる。

 ローマ帝国の全盛期、五賢帝の最後の皇帝。スペイン生まれのストア派哲学者として知られていたが、皇帝アントニヌス=ピウスの女婿で、その養子となった。個人名としては単にマルクス=アウレリウスといわれる。161年40歳の時皇帝を継承する(~180年まで)。このとき、同じく先帝の養子で弟にあたるルキウス=ウェルスを皇帝と同じ権限を与えているので形の上ではローマで最初の二人皇帝制であった。哲学者が皇帝になったと言うので「哲人皇帝」といわれた。自らも『自省録』という著作がある。マルクス=アウレリウス=アントニヌスは五賢帝の最後の皇帝であるが、この頃から、東のパルチアの侵攻、さらに北のゲルマン人の侵攻が激しくなり、その対応に追われ、彼自ら出征を繰り返し、ドナウ川河畔で陣没した。後継者として実子のコンモドゥスを指名し、五賢帝の養子に継承させる形態が終わりを告げた。次のコンモドゥス帝からはローマ帝国は衰退に向かう。ようやくローマ帝国の動揺の予兆とも見ることが出来る。
 なお、この時代東西交渉が盛んで、彼は中国にまで使者を派遣したらしく、後漢書に「大秦王安敦」とあるのは彼のことであろうとされている。また彼の侍医として知られるのが著名な医師ガレノスである。

パルティア、ゲルマン人との戦い

 パルティアとの戦争では、ローマ軍はセレウキアとクテシフォンを陥落させ、勝利したが、このとき東方から疫病(ペスト)がローマ領内に伝染し、被害が大きくなった。対ゲルマン人戦争では、ブリタニアとゲルマニアで反乱が起こり、さらにドナウ川を越えてローマ領に侵攻してきたゲルマン人と戦った。162年から皇帝自ら出征を繰り返し、180年にウィンドボナ(現在のウィーン)に出征中、その地で陣没した。

Episode マルクス=アウレリウス=アントニヌスの唯一の失政

 マルクス=アウレリウス=アントニヌスは五賢帝の一人として、人民に寛容と慈愛を示し、善政を施した。ただ一つの失政は、それまでの優秀な人物を養子にしてその人物が次の皇帝となると言う慣行をやめ、実子のコンモドゥスを後継者としたことであった。コンモドゥスは、マキアヴェッリの『君主論』によると、「獣のように残忍な心の持ち主だった。だから人民に対して強欲ぶりをいかんなく発揮しようとした。軍隊を手なずけ、彼らに放埒のかぎりを許した。ほかにも、皇帝の尊厳などわきまえず、しばしば格闘場におりて、剣闘士あいてに戦い、およそ皇帝の品性にそぐわない数々の下劣な行為に走った。」こうして憎しみにあい、見くびられて、陰謀にあって殺された。<マキアヴェッリ『君主論』1515 池田廉訳 中公クラシックス p.150>

自省録

ストア派の哲学者であったローマ皇帝マルクス=アウレリウス=アントニヌスの著作。自らの生き方を内省し、ギリシア語で著述した。

 五賢帝の最後の一人、マルクス=アウレリウス=アントニヌスが、対ゲルマン戦役の陣中で書いた書物で、ストア派の哲学者でもあった彼が、人間として、あるいは皇帝という公人としていかにあるべきか、自らを省みてギリシア語で書いた。ラテン語ではなく、ギリシア語を用いたところにストア哲学に傾倒していたことが現れている。
 権力の極みにあったローマ帝国の皇帝が、その内面で何を自省していたのか、興味深いところである。そのよりどころはヘレニズム時代のゼノンに始まるストア学派の、自然(宇宙)の中にあって、理性(ロゴス)にもとづく禁欲的な生き方を守り、心の平安(アタラキシア)を得ようという理念であった。
 以下、拾い読みで彼がどんなことを言っているのか、見てみよう。なお『自省録』には岩波文庫版の神谷恵美子訳と、講談社学術文庫版の鈴木照雄訳があるが、後者に依った。自省の書なので、文中で「おまえ」と言っているのは自分に言い聞かせているわけである。<マルクス=アウレリウス『自省録』鈴木照雄訳 2006 講談社学術文庫>

『自省録』より

(引用)  ヒッポクラテスは多くの病気を治療したが、やがて彼自身病を得て死んでいった。(中略)アレクサンドロス、ポンペイウス、ガイウス・カエサルは数多くの都をあのように次から次へ完膚なきまでに攻略し、また戦列にあっては何万という騎兵や歩兵を殺戮しながら、やがて彼ら自身もいつの日かこの世を去って行った。ヘラクレイトスは宇宙焼尽についてあれほどの自然学的研究を積みながら、自身は体内の水腫に罹り牛糞にまみれて死んでいった。またデモクリトスは虱の犠牲となり、ソクラテスまた別の虱の犠牲となって命を落とした。
 これらはいったい何なのか。(人生なる航海に)おまえは上船し、そして着港したということである。さあ、下船するがいい。もし行く手が現世と異なるものであるならば、そこでも神々が在さぬわけがない。また、無感覚の状態にあるというならば、もはや苦楽に翻弄され、主たる者が仕える者より優れているのに比例して劣っているかの(肉体の)器に仕えることはなくなるであろう。<第三巻 三 p.39>
 「皇帝」化させられてしまわぬよう、その色に染められきることのなきよう心せよ。これは現に起こることであろうから。さればよく気をつけ、おまえを単純素朴にして善良な、汚れなき、謹厳にして虚飾なき、正義の友にして敬神の、親愛の情に満てる、己の義務に強力有能な者であるようにせよ。哲学がおまえを形作ろうと欲したごとき人物で変わらずあるよう競って励め。神々を畏敬し人々の安泰を計れ。人生は短い。この地上の生の唯一つの成果、それは敬虔な心構えと公共を想う行為である。<第六巻 20 p.101>
 おまえ自身が国家公共の組織の構成要因であるごとく、おまえのすべての行為もまた公共の生活の構成要素たらしめよ。およそ国家公共の目的に直接的と遠隔的とを問わず関連をもたぬごとき行為は、おまえの生活を分裂させそれの一体であることを許さず内部分裂の因となるものである。あたかも、共同体において自己に関わるかぎりの職分の面でかかる協調から離反する者のなすように。<第九巻 23 p.165>
 これらの引用の以外にも、いたるところに人間の生の栄華や栄耀がいかに空しいものであるかを自覚せよという自戒の言葉を見ることが出来る。訳者が解説で述べているように、「硬質の無常観」に覆われている。このような内面の自省を文章にしている権力者が、しかも2世紀に存在してたことは驚きである。また引用文にあるように、「公共の安全」を使命とする自覚がこの古代統治者にあったことも意外である。古代中国の帝王の、儒教的、あるいは道教的な統治観にも共通することかも知れない。
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第1章3節 エ.ローマ帝国
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マルクス=アウレリウス
『自省録』
鈴木照雄訳
2006 講談社学術文庫