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タレース

古典期ギリシアの自然哲学者。前6世紀前半、イオニア地方のミレトスで活動し、万物の根源は水である、と唱えた。物事の根源(アルケー)を探求する哲学の出発点となった。

 タレース(Tales タレスとも表記する)は紀元前6世紀の小アジアのギリシア人植民都市ミレトスの人で、イオニア自然哲学の最初の一人とされる。彼は万物の根源(アルケー)は水であるとした。またピラミッドの高さを測定したり、前585年5月28日に小アジアで起こった日食を予言したことで知られ、当時から賢人として尊敬を集めていた。タレースの著作は一切伝わっていないが、ヘロドトスやアリストテレスなどの著述の中に引用されている。

測定する人タレス

(引用)タレスは、当時の人々にとっては、万能選手のような存在であった。彼は七賢人の筆頭であり、気象現象の観察に長けていて、それを、抜け目なくオリーブ油の相場を釣り上げ、ひと儲けするのに利用することのできた商人であり、リュディアのクロイソス王のためにハリュス河の流れを変えたという土木技師であり、円が直径によって二等分されることを証明し、直角三角形を園に内接させた幾何学者であり、太陽の至点と昼夜平分点を発見した天文学者であり、イオニア地方の危機に際してテオスに中央官庁を設けるべきことを提言した政治家であり、万物の生成の元(アルケー)を水だとした哲学者であった。タレスをめぐるこれらの雑多な情報のなかから、真正のタレス像を取り出すことはほとんど不可能に近い。しかし、これらの情報を注意深く見ていると、そこには一つの姿が浮かび上がってくるように思われる。「観察し測定するひと」としてのタレスの姿である。<山川偉也『古代ギリシアの思想』1993 講談社学術文庫 p.37>
ギリシアの七賢人 古来、ギリシアでは「七賢人」を尊敬を込めて挙げている。七賢人の七人は必ずしも一定しないが、イオニアのタレースだけは、「最初の哲学者」として必ず挙げられる。プラトンは次の七人を挙げている(『プロタゴラス』岩波文庫 p.107)。
 ・ソロン(アテナイの立法者) ・タレース(ミレトスの哲学者) ・キロン(スパルタの政治家)  ・ビアス(プリエネの僭主) ・クレオブロス(リンドスの僭主) ・ピッタコス(ミュティレネの僭主) ・ミュソン(ケナイの農夫)
一般的には、ミュソンの代わりにコリントスのペリアンドロスが挙げられることが多い。いずれも紀元前7世紀末から前6世紀に活躍した。

ピラミッドの高さを測定

 タレスはエジプトに行ってピラミッドの高さを測定した。どのように測定したかというと、人の影が自分の影と同じになる時刻のピラミッドの影の長さを測定して割り出した。ピラミッドの高さと影の長さが二等辺三角形の直角を挟む二辺となって同じになるからだ。あるいは同時刻に垂直の棒を立て、その影とピラミッドの影を測定し、相似する二つの直角三角形からピラミッドの高さを割り出した。タレスが手に届かないが目には見えるものを測定するのに相似な三角形を用いたのは、既知のものから相関関係によって未知のものを割り出すというミレトス学派の自然哲学の特徴的な手法と言うことができる。

日蝕の予告

 ヘロドトスの『歴史』に次のような一節がある。
(引用)リュディア(リディア王国)とメディア(メディア王国)の間に戦争が起こり五年に及んだが、この間勝敗はしばしば処をかえた。ある時などは一種の夜戦を戦ったことがあった。戦争は互角に進んで六年目に入ったときのことである。ある合戦の折、戦いさなかに突然真昼から夜になってしまった。この時の日の転換は、ミレトスのタレスが、現にその転換の起った年まで正確に挙げてイオニアの人々に予言していたことであった。リュディア、メディア両軍とも、昼が夜に変わったのを見ると戦いをやめ、双方ともいやが上に和平を急ぐ気持ちになった。<ヘロドトス『歴史』巻一 74節 松平千秋訳 岩波文庫(上)p.61>
 この日蝕は、紀元前585年5月28日のものだったと現在、推定されている。どのようにしてタレスは日蝕を予告できたのだろうか。山川偉也さんは次のように考えている。
(引用)もし本当にタレスがこの日蝕を予言したとすれば、おそらく彼は、バビロニアの祭司たちが、宗教的目的のために、少なくとも紀元前721年以来蓄積していた天文学の知識を利用したことであろう。バビロニア人たちは、たぶん、紀元前6世紀には、蝕が起こる至点を確定していた。この時期、ギリシアの知識人たちはしばしば、リュディアのサルディス(サルデス)を訪れた。タレスはそこでバビロニアの日蝕の記録に接したかもしれない。しかし、紀元前6世紀段階でのバビロニア人の方法では、一定点で日蝕が見えることを保証する何ものも得られなかったはずだ。バビロニアの祭司たちは広大な領土のあちこちに派遣され、観測を確かなものにしようとしたが、それでも、観測できないことがあったのだ。したがって、もしタレスがこの日蝕を実際に予言したのだとしても、その予言は、第一にバビロニア人の業績に圧倒的に負うものであり、第二に、当たったことがまったくの幸運といってもよいほど確率の低いものだったのである。なぜなら、イノニア地方のある特定場所でその日蝕が特定時期に見られることを保証する何ものもなかったからである。ヘロドトスの逸話の核心を、わたしたちは、問題の日蝕の予言がタレスに帰せられているというところに見ればよいのである。<山川偉也『古代ギリシアの思想』1993 講談社学術文庫 p.36-37>

Episode 独身主義者タレス、ソロンをからかう

 プルタルコスの『英雄伝』のソロン伝にはアテネのソロンがタレスを訪ねたときの面白い話が載せられている。「タレスを訪ねてミレトスに赴いたソロンは、彼が結婚とか子供を作ることを全く考えていないのに驚いた。タレスはその場では沈黙していたが、いく日かおいて一人の外国人を使って、十日前にアテナイを立っていま着いたばかりだと言わせた。」ソロンがアテナイに何か新しいことがあったかと訊ねたところ、「実は一人の若者の弔いがありまして市民たちみんなが葬列に加わりました。噂では名声の高い、市民の中で徳に最も優れた方のご子息だそうです。そのお方がお見えにならなかったのは、大分前から外国を旅しておられるためだそうです」と言った。恐怖に駆られたソロンが、その人の名は?と訊ねると、たしかソロンという名前でしたという答えが返ってきた。ソロンが自分の頭を打ち、悲嘆にくれているとタレスは彼をなだめて笑いながら「これだからわたしは結婚や子供をもつことをしないのです。あなたほどしっかりした人でも打ちのめすのだから。しかし今の話についてはご安心下さい。事実ではないのですから」と言った。アテナイから来た人の話は、タレスがしくんだ芝居だったのだ。独身主義のタレスがソロンをからかったわけである。もっともプルタルコスは「貧乏をもって財の喪失に対し、友を作らぬことをもって友をうしなうことに対し、子供をもたぬことで子供の死に対する予防策とするよりも、理性をもってあらゆる不幸に備えるべきである」と論評している。<プルタルコス『英雄伝』上 村川堅太郎訳 ちくま学芸文庫 p.109-110>  また、ラエルティウスの『ギリシア哲学者列伝』ではこう伝えられている。独身主義者タレスの面目躍如である。
 タレスは、なぜ自分の子供をつくらないのかと訊ねられたとき、「子供を愛しているからだ」と答えた。また彼の母親が彼をむりやりに結婚させようとしたとき、「まだその時期でない」と彼は答えたが、その後、年頃をすぎてから、母親がもう一度つよく促すと、「もはやその時期ではない」と答えたという。<ラエルティウス『ギリシア哲学者列伝』上 岩波文庫 p.31>

Episode タレス、溝に落ちる

 ラエルティウスの『ギリシア哲学者列伝』には、タレスのその他の逸話が満載である。そのなかから一、二紹介しておこう。< >は引用者の雑言。
 彼はあるとき、星を観察するために、老婆を伴って家の外に出たが、溝に落ちてしまった。そこで 大声で助けを求めたら、その老婆はこう答えた。「タレス様、あなたは足下にあるものさえ見ることがおできにならないのに、天上にあるものを知ることができるとお考えになっているのですか」と。<この話はプラトン『テアイテトス』岩波文庫 p.109 にも見える>
 姦通した男が、自分は姦通していないと誓ったものかどうかと訊ねたのに対して「偽誓は姦通より悪くない」と答えた。<これなど、不倫をした政治家や俳優にも教えてやりたい名言です。>
 何が困難なことかと訊かれ、「自分自身を知ることだ」と。また、何が容易なことかという問いには「他人に忠告することだ」と。<これは朝日新聞、2009.12.1の天声人語がとりあげていた。>
 この賢者(タレス)は体育競技を見物していて、暑熱と渇きと、そしてすでに老年であったために衰弱によって死んだ。<今で言えば、熱中症でしょう。78歳だったという。>
<ラエルティウス『ギリシア哲学者列伝』上 岩波文庫 p.28-45>
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ノートの参照
1章2節 コ.ギリシアの生活と文化
書籍案内

ヘロドトス/松平千秋訳
『歴史』上 岩波文庫

村川堅太郎訳
『プルタルコス英雄伝』上 ちくま学芸文庫

ラエルティウス/加来彰俊訳
『ギリシア哲学者列伝』上
岩波文庫

山川偉也
『古代ギリシアの思想』
1993 講談社学術文庫