印刷 | 通常画面に戻る |

ザマの戦い

前202年、第2次ポエニ戦争で、ローマの将軍スキピオがカルタゴのハンニバル軍を破った戦い。

 第2回ポエニ戦争で、ローマの将軍スキピオが北アフリカに上陸、ハンニバルの率いるカルタゴ軍を破った戦い。
 カルタゴのハンニバル軍はイタリアを転戦し、ローマをうかがう勢いであったが、前202年、ローマの将軍スキピオは形勢逆転を狙い、カルタゴの虚を突いて北アフリカに上陸した。急を聞いたハンニバルが本国に戻り、カルタゴ近郊のザマで相対した。ここではスキピオがカルタゴ軍を挟撃することに成功し、ハンニバルは敗戦を認めて、カルタゴは降服した。カルタゴは海外領土すべてを失い、賠償金などの支払いを約束、ハンニバルはしばらく将軍にとどまったが、結局カルタゴを離れる。 → ローマ共和政

戦闘の推移

 ザマはカルタゴの南方の原野であるが、決戦のあった正確な場所はわかっていない。またその日時についても諸説あって定まっていない。第2次ポエニ戦争の勝敗の帰趨を決した闘いであったことには間違いはない。
 ハンニバルは4列の陣形をとった。第1列は80頭の象を並べ、第2列に1万2千の様々な人種からなる傭兵、第3列にカルタゴの市民からなる兵士たち、第4列にハンニバル自身が指揮するイタリアでの戦争以来の古参兵であり、右翼にカルタゴ貴族の騎兵、左翼に北アフリカのカルタゴの隣国ヌミディアの騎兵を配置した。対するスキピオは、重装歩兵を3列の市松模様の陣形に配した。左翼にはローマ騎兵を、右翼にはローマに協力を申し出たマッシニッサが指揮するヌミディア人騎兵を配置した。

Episode 象部隊の空振り

 戦端が開かれると、ハンニバルは象部隊を突撃させ、同時に騎兵隊に偽の撤退を命じ、ローマ軍の分散を図った。ところが象部隊が突進していくと、ローマ軍は部隊と部隊の間に広いスペースを空けたので、敵兵のいないところに突き進むしかなかった。一部の象は混乱して引き返し、味方に突っ込んでしまったのもいた。カルタゴ軍第2列の傭兵はいきなりローマの歩兵と騎兵の攻撃を受ける形になり、戦いながら後退せざるを得なかったが、第3列のカルタゴ市民兵は徴兵されたばかりで訓練不足だったため、ローマ兵に立ちむかおうとしない。裏切られたと思った傭兵たちはカルタゴ兵にも斬りかかった。戦闘はハンニバルの本陣、第4列に及び、カルタゴ軍は必死に持ちこたえた。一時は形勢を盛り返したが、そのときカルタゴ騎兵を追撃していたローマとマッシニッサの騎兵が戻ってきて、カルタゴ軍の背後を突いた。これで形成はローマ軍有利に展開し、ついにカルタゴ軍はほとんど全滅し、ハンニバルはかろうじて脱出した。4万のカルタゴ兵のうち戦死は2万、残りは捕虜となった。

ローマ軍の勝利と講和条件

 ザマの敗戦によってカルタゴはスキピオに講和を申し込んだ。スキピオは、カルタゴがアフリカ以外の領土をすべて放棄すること、ヌミディアをマッシニッサ(ローマ軍に協力した)に譲渡すること、軍艦は10隻まで削減すること、賠償金は1万タレント(50年賦)とすること、カルタゴ貴族の若者100人を人質としてローマに送ること、カルタゴはアフリカ以外の所で戦争をすることはできず、アフリカでの戦争でもローマの許可が必要とすること、が条件だった。
 このきびしいスキピオの講和条件に対し、カルタゴの元老院(ローマに倣って元老院を置いていた)では激しい反対が起こったが、議場に現れたハンニバルが「この和平は受けるより他はない」と演説して反対の声を抑え、和平が成立した。<以上、長谷川博隆『ハンニバル』1975 講談社学術文庫 などによって構成>
 ローマとの講和によってカルタゴはなおも存続できたが、ローマは過酷な講和条件の履行を迫り、カルタゴは次第に追いつめられてゆき、ついに第3回ポエニ戦争となり、その結果、前146年に滅亡する。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
1章3節 イ.地中海征服とその影響
書籍案内

長谷川博隆
『ハンニバル』
1975 講談社学術文庫