印刷 | 通常画面に戻る |

ローマ共和政

古代の都市国家ローマにおいて、前5世紀に始まる身分闘争を経て、前3世紀初めには平民が貴族と同等の権限を得て、共和政が完成した。

 中部イタリアの一つの都市国家として出発したローマは、王政を倒した後に、コンスル(執政官、統領ともいう)を中心とする貴族共和政に移行しながら支配領域を拡大していったが、その過程で力をつけてきた平民(プレブス)が次第に貴族(パトリキ)に対する平等な権利を要求して身分闘争を展開し、市民による共和政国家としての性格を強めていった。

ローマ共和政の形成過程

 まず前5世紀始めに平民会の設置、護民官の設置にはじまって、平民の政治的権力獲得の歩みを開始し、中頃の十二表法制定で法の前での平等を実現させ、前4世紀中頃のリキニウス=セクスティウス法制定でコンスルの一人を平民から選出することが決まり、前3世紀前半のホルテンシウス法で平民会の決議が国法となることによって完成した。「ローマ共和政」は、都市国家ローマの市民によって運営されることになったが、そのローマがイタリア半島統一戦争を展開しすることによって平民が重装歩兵としてその中核となったことによって、その発言権が増していった。しかし、ローマが前3世紀から地中海世界にその支配を拡大していくに伴って、共和政は形式としては維持されたが、実質的にはその機能を失ってゆき「ローマ帝国(ローマ帝政)」へと移行していく。
ローマ共和政の形成過程のまとめ
  • 前5世紀始め 平民会の設置 民会の一つ。平民(プレブス)のみで構成。
  • 前494年 聖山事件 護民官の設置決まる。
     護民官は平民会で選出し、議長を務め、元老院・コンスルの決定に拒否権を持つ。
  • 前450年頃 十二表法 ローマ最初の成文法 法の前での平等を実現。
  • 前367年 リキニウス=セクスティウス法制定 二人は護民官。
     (1)コンスルの一人を平民から選出。(2)公有地の占有を一人500ユゲラに制限。
  • 前287年 ホルテンシウス法 ディクタトル(独裁官)が制定。
     平民会の決議が元老院の承認が無くとも国法となる。=共和政の完成
     → 平民の中で元老院議員となったものが新貴族(ノビレス)として台頭。
  • 背景 イタリア半島統一戦争で平民が重装歩兵としてその中核となった。

ギリシアの民主政との相違点

 ギリシアの民主政と比較すると、成年男子のみの市民権を持つ市民による民主制という点、奴隷制を基盤としている点は共通するが、相違も多い。まず、ローマの民会(兵員会)の構成員は平等ではなく、また平民会は存在し国家の最高機関となったが、門閥的な元老院は依然として力を持ち、独裁官などの権力手中が法的に認められていたことなど、民主政は不徹底であった。また市民権がローマ市民以外にも拡大されたことなどが特徴である。 基盤であった奴隷制も、ギリシアの奴隷制は家内奴隷が主であったが、ローマの奴隷制では戦争捕虜の奴隷化が進み、大規模な奴隷制労働による大土地所有制が発達した。ギリシアは都市国家が統合されることはついになかったが、都市国家から出発したローマは最終的には世界帝国となり、民主政と共和政は形骸化して専制君主政に変質した。→ アテネ民主政

共和政の動揺

前3世紀~前2世紀、ローマの征服戦争の長期化と属州からの安価な穀物の流入などによって中小農民の没落が進み、貧富の格差が拡大したことは、共和政を大きく動揺させることになった。一つは執政官や独裁官、護民官などの執行機関とその基盤である議決機関としての平民会、諮問機関としての元老院というローマ共和政のシステムがくずれ、政治の実権は一部の有力者にゆだねられるようになったことでる。さらに彼ら有力者が閥族派平民派に別れて争うようになった。一つは大土地所有の進行は奴隷制に依存していたので、その拡大は奴隷に対する収奪を激しくすることとなり、それに反発した奴隷反乱が起き始めたことであった。前2世紀後半には共和政の動揺は覆い隠すことが出来なくなり、前1世紀の「内乱の1世紀」という混乱期を経て、共和政はくずれ帝政ローマに移行することとなる。 → ローマ帝国
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第1章3節 ア.ローマ共和政