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ハンニバル

ポエニ戦争でローマを苦しめたカルタゴの将軍。戦象を率いてアルプスを越え、前216年、カンネーの戦いでローマ軍を破ったが、ザマの戦いではスキピオのローマ軍に敗れた。

 古代カルタゴの将軍。第2回ポエニ戦争で戦象を率いてアルプスを越えてイタリア半島を転戦し、カンネーの戦いでローマ軍を破って脅威を与えた後、カルタゴ近郊のザマの戦いでローマのスキピオに敗れた。
 父のハミルカルもカルタゴの将軍で、第1回ポエニ戦争でローマ軍と戦い、その後カルタゴで傭兵の反乱を鎮圧して名を挙げた。その子ハンニバルは父の築いたカルタゴの植民地のスペインで育ち、父の死後、26歳でカルタゴ軍を率いる将軍となった。前218年第2回ポエニ戦争が起きるとスペインのカルタゴ=ノヴァ(カルタヘナ)を出発し、ロー戦象30、歩兵5万、騎兵9千を連れてピレネー山脈を越え、さらに冬のアルプスを超えてローマ領内に攻め込んだ(アルプス越えのルートには諸説あって明らかではないが、ローマの歴史家ポリビオスによれば15日かかかったという)。その後イタリア半島を転戦、ローマの将軍ファビウスの持久戦法に悩まされたが、ヴァビウスが元老院で罷免された後の前216年、ローマ軍が決戦を挑んでくると、カンネーの戦いで巧みな戦法を駆使して大勝した。ハンニバルはローマの同盟市が反乱を起こすことを期待したが、その動きはなく、また長期の遠征でカルタゴ軍も疲弊し、ローマ軍スキピオが本国を攻撃した知らせに急遽カルタゴに戻り、前202年のザマの戦いで敗れた。ハンニバルはその後もカルタゴの将軍の地位にとどまったが、親ローマ派が台頭したため脱走し、小アジアのアンティオキアに亡命。なおも各地で反ローマ連合を働きかけたがはたさず、ローマの追跡を受け、前183年自殺した。

Episode ハンニバルの戦象部隊

 ハンニバルは象部隊を率いてアルプスを越えたことで有名であるが、その戦象については次のような説明がある。
(引用)「ハンニバル軍の戦象の主体としてのアフリカ象は、森の小型の象であり、灌木地帯のアフリカ象ではない。肩までの高さは、2.4m(インド象は3m。灌木地帯のアフリカ象は3.3m)。ただし前218年から217年にかけて生き残った象シュルスは、カトーによれば、第2回ポエニ戦争 中、最も勇敢に戦ったインドの戦象だったという。ところで、この小型のアフリカ象は-よく画に見られるように-上に象カゴをつけるには小さすぎ、一人の象使いがこれに乗って投げ槍を使ったものであろう。」<長谷川博隆『ハンニバル』1973 講談社学術文庫 p.60>
 なお、象を戦争に使い始めたのは、ナイル上流にあって前8世紀にエジプトを支配したクシュ王国で、ハンニバルもクシュ人から学んだという。

NEWS アルプス越えのルート判明か(2016/4/6)

 前218年、ローマと戦っていたカルタゴの将軍ハンニバルが数万の歩兵、数千の騎兵、30頭の象とともにアルプスを越えてローマ領内に攻め入った。越えた場所は謎だったが、フランスとイタリアの国境付近にある標高約3000mのコル・ド・ラ・トラベルセットであることがわかった。イギリスのクィーンズ大学ベルファストの研究チームは、通った可能性のある場所の堆積物に含まれる微生物や化学物質、花粉などを詳細に調べた結果、同地の堆積物から、ウマの糞などからつくった堆肥にみられるクロストリジウムという細菌が検出されるなど、多くの動物が通ったことを示す証拠が見つかったという。研究チームのクリス・アレン博士は「クロストリジウムは非常に安定で、土の中で数千年生き続ける」と説明している。<新聞赤旗 2016年4月6日 による>
 クロストリジウムという細菌が検出されたのが象のフンだったら、もっとはっきりハンニバル軍が通ったとわかるのでしょうが。
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ノートの参照
第1章3節 イ.地中海征服とその影響
書籍案内

長谷川博隆『ハンニバル』1975 講談社学術文庫