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周の東遷

前770年、周が都鎬京を犬戎に占領され、都を東方の洛邑に移した。

の幽王は西方から侵入した異民族犬戎によって都鎬京を奪われ、殺害された。その子の平王は東遷し、第二の都であった洛邑に移った。これを周の東遷といい、以降を東周という。これ以来、周王の王権は衰退し、「春秋・戦国時代」という分裂時代に突入する。

Episode 笑わない美女の話

 西周の最後の王となった幽王には司馬遷の『史記』によれば、次のような話がある。幽王には皇后の申后とその間に生まれた太子がいたが、褒姒(ほうじ)という後宮の美女を寵愛し、申后とその太子を廃して、褒姒を皇后とし、その間に生まれた子を太子にしてしまった。褒姒はすこぶるつきの美人だったが、どういうわけか、「別にぃ」という感じでさっぱり笑わない。幽王はなんとか笑わせようと手を尽くしたが、どうしても笑わない。そこである日、一計を案じた幽王は、烽火(のろし)を上げさせた。すると諸侯が天下の一大事、敵が攻めてきたとばかりに王宮に駆けつけたが、敵の姿は見えない。その狐につままれたような顔をしてうろうろする様子が面白かったのか、褒姒がはじめて楽しそうに笑ったので、幽王はその後もちょいちょい烽火を上げてるようになった。諸侯はバカらしくなって本気にしなくなってしまった。やがて皇后を廃された申后の一族は、犬戎などと語らって、鎬京を攻めた。幽王は烽火を上げて諸侯を動員しようとしたが、誰も信ぜず一兵も集まらなかったので、王は殺され、褒姒は捕らえられてしまった。こうして申后の産んだ太子が王位につくことになった。この平王が都を洛邑に遷し西周は終わった。<司馬遷『史記』周本紀 小竹文夫・武夫訳 ちくま学芸文庫 p.85/村松暎『中国列女伝』中公新書 1968 p.116-117 などによる>
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第2章3節 エ.春秋・戦国時代
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村松暎『中国列女伝』中公新書 1968