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洛邑

中国の周王朝の後半の都。後の洛陽。

黄河中流の河南省、現在の洛陽市。はじめが成立したとき、武王の弟の周公旦が、殷の遺民を抑えるために建設した、周の第二の都であった。成周ともいう。前770年、周(西周)の都鎬京が犬戎に占領されて滅んだ後、周王室の一人の平王が洛邑に逃れ、周を再興した。それが東周であり、以後その滅亡(前256年)まで洛邑が都となる。この地は、渭水流域から中国の平原部(現在の河南省に当たり「中原」と言われた)への出口にあたり、軍事的にも重要な交通の要衝であったので、漢・唐でも都の長安に対して東都と言われた。また後に洛陽と称され、後漢、三国時代の魏、南北朝時代の北魏(孝文帝以降)などの都となった。
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第2章3節 エ.春秋・戦国時代