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孟子

戦国時代の思想家。儒家の思想をさらに発展させた。

戦国時代の諸子百家のひとつ、儒家孔子の思想をさらに発展させた。前4世紀のの都臨淄(りんし)は当時最も栄えた都市で、その城門の一つ稷門のもと(稷下=しょくか)には全国から遊説の学者が集まって議論していた。孟子もその一人であった。彼は当時盛んだった儒家と墨家の論争を克服しようと試み、体系的な国家統治論を作り上げた。その基本には性善説(人間の本性を善とする)にたち、外界からの誘惑に負けない「浩然の気」を養うことをあげ、君主の徳を説き(徳治主義)、周の井田法(1里四方の土地を9等分し8区を8家族に分け与え、残る1区を公田として共同で耕作するというもの。孟子の書物に出てくるが周で実際に行われていたかどうかは不明)を理想の社会とし、人心から離れた君主は革命によって倒されるという易姓革命説を打ち出した。 → 四書

Episode 教育ママのはしり、孟母

 孟子の母(孟母)は「三遷の教え」「断機の教え」で有名。子供の教育のため、最初は(静かなところがいいだろうと)墓所の隣にし、ついで(情報が得られるだろうと)市の近くに移り、最後に学校の近くに引っ越したという話が「三遷の教え」、学問に行き詰まって家に帰った孟子にむかって機織り中の布を切り裂いて、途中でやめるのはこのようなことだと戒めたという話が「断機の教え」である。
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ノートの参照
第2章3節 オ.社会変動と新思想