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斉(春秋・戦国)

春秋・戦国時代の有力国の一つ。黄河下流の山東省を支配。春秋時代には桓公が五覇の一人とされ、戦国時代には七雄の一つとされた。最も遅く秦に滅ぼされた

周のはじめ、有名なの太公望が封じられて以来の由緒ある国で、春秋時代には斉の桓公が最も早く覇を唱えて覇者となり、春秋の五覇の第一とされ、最も栄えた。

戦国の七雄の一つ

 桓公の死後、その子たちのあいだで内紛が生じて急速に乱れ、斉の実権は前386年家臣の田氏に移った。それ以後を田斉という。当時は周王室の権威は全く衰え、大国の一つであった晋が韓・魏・趙の三国に分裂するなど、戦国時代に移行した時期であった。田氏は斉王を唱えて豊かな経済力を背景に戦国の七雄の一つに数えられた。
斉は黄河下流の現在の山東省一帯を支配し、海に面していたので漁業・製塩業が盛んであったため都の臨淄(りんし)は当時最も商業が栄えた都市であった。斉では青銅貨幣として刀銭が流通していた。また都の臨淄には、多くの諸子百家が集まったことでも知られている。斉は前284年に燕に敗れてから次第に衰えたが、戦国諸国の中では最後まで生き残り、前221年にに滅ぼされた。

Episode 太公望の話

 周王によって斉に封じられた太公望は、釣り好きの人の代名詞とされるあの人物である。彼は周の武王とその父文王に仕え、周の建国に大きな働きをした人物であったが、周の文王との出会いに次のような話がある。
 周の文王が狩りをしていると、渭水のほとりで釣り針をつけずに釣り糸をたれている老人に会い、不思議に思って話しかけたところ、なかなかの人物なので連れて帰った。どこの誰かもわからない人を連れ帰った王にまわりの人が尋ねると、王は「わが父(太公)が周を栄えさせる聖人として待ち望んだ人物だ」と答えたので、太公望と言われるようになった。はたしてこの人は文王と次の武王に仕えてその師となり、周の繁栄をもたらした。太公望は本名を呂尚。また釣り好きの人を「太公望」というのは、文王との故事による。この文王は、後の儒家に理想的な君主として崇拝された人物である。<貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』講談社学術文庫版>
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第2章3節 エ.春秋・戦国時代