印刷 | 通常画面に戻る |

郡国制

漢(前漢)の高祖の全国統治法。秦の郡県制と周以来の封建制を併用したもの。

帝国の初代、高祖の統一政策の中心となった地方行政制度。皇帝の直轄地としての関中(長安の周辺地域)には、郡県制をしき、官吏を派遣して直接支配し、それ以外の地には一族や功臣の有力者を諸侯王として配して世襲的にその地の支配権を任せる封建制を復活した。彼らはそれぞれ王と言われ、その治める地域は国と言われた。このような封建制と郡県制をあわせたものが郡国制である。漢のはじめは、皇帝の直轄地が十五郡、諸侯王に与えられたのは三十余郡であったというが、高祖は少しずつ諸侯王の領地を奪い統制を強めようとし、その後、呉楚七国の乱で諸侯王の勢力を抑えることに成功してから、漢は全土を実質的に郡県制的に直接統治することができた。

Episode 長沙の馬王堆漢墓

 1971年に中国の湖南省長沙市の馬王堆で前漢時代の墳墓が発掘された。精巧な棺や美しい絵が織り込まれた布帛など多数の副葬品と、女性のミイラが出土し、人々を驚かせた。これは、前漢の諸侯王の一つ長沙王の夫人の墳墓であろうと言われている。長沙王は、多くの諸侯王が漢王室によって滅ぼされた中、最後まで残った諸侯王であった。
印 刷
印刷画面へ
ノートの参照
第2章3節 キ.漢代の政治